大日本帝国は滅びるべくして滅んだ。
それは、有事であるにも関わらず、
平時の感覚で物事を処理していたからだ。
正に「お役所仕事」で戦争をやっていた。
陸軍がこう言ってるから、
とか海軍が納得しないとか、
外務省がどうのとか、
現場の人間が命のやり取りをしているときに、
一体何をやっているというのか…
これをやっている本人たちに
その自覚がないのだから、
始末に負えない。
現在とて厳然と存在し続ける人種差別。
コミンテルンや共産主義のシンパ(ピンコ)の存在。
日本へ向けられる悪意がある中で、
それにしっかりと対応できる体制であったか、
と言われると、答えはノー、だろう。
帝国海軍は、戦局を好転させる可能性の大きかった
インド洋での作戦を軽視し、
太平洋での作戦(ミッドウェー)の計画に力を注いだ。
敵の嫌がることをするのではなく、
自分のやりたいことをやろうとした。
独り善がりになっているだけで、そこに戦略はなかった。
まして、陸軍と海軍では仮想敵が違う。
同じ方向を向いていない。
「軍部」として日本の国益を守るためにどうするか、
という統一的な方針がなかった。
結果、
ソ連・支那・イギリス・アメリカ
を同時に相手にしてしまった。
これで勝つのは至難の業。
陸海軍だけではなく外務省とて
非難は免れない。
筆者曰く、
外務省は抵抗力を失った陸海軍に、
外務省が負うべき責任を押しつけ、
日本の開戦史観を米国の開戦史観に合わせ省益を守った、と。
この米国の開戦史観に迎合した外務省史観が、
すなわち東京裁判史観である、と。
野蛮な連中に敗れたことも悔しいが、
その悔しさをばねにして、今度は絶対に負けない、
奴らになめられない強い国になろう、
という意思を持っていない状況はもっと悔しい。
靖国に祀られている英霊が、
当時どんな思いで死んでいったのかということと
現在の日本の状況を併せて考えると、
英霊に申し訳ない思いでいっぱいになる。
靖国の英霊の思いに報いるためにも
今我々が何ができるか。
しっかりと考えて行動しなければならない。