神社新報社編『護れ鎮守のみどり(神社新報ブックス4)』(神社新報社 1985年)読了。
神道や神社のことを知るには、神社新報社の本を読むのがいいかなと思い、手軽に読める神社新報ブックスシリーズを読んでいるが、本書はその第4弾である。
以前読んだ『神社とみどり』の続編という位置づけになる。
みどりについては『神社とみどり』の読書感想文に若干書いたので、ここではその他の点で感じたことを書くことにする。
まずは、少し長いが、本文から引用する。
「…そのやうな大きな角度からみた場合、この小さな国日本の、しかもその一部にすぎない鎮守の森の問題などはきはめて小さいと思ふ人もあるだらう。たとへ鎮守の森が生き残っても、今の世界の趨勢を変へなければ、将来の人間生活のための何のプラスにもならないではないかと思ふ人もゐるだらう。世の中には、そのやう考へ方をする人もゐるものである。そしてそのような考へ方が、社会にとって大きな害悪を流し続けてゐる。
これは、社会や政治の運動にも言へる。社会生活の住みよい改善をしようと努力する人人に対して、「憲法が悪いのだから、そんなことをしてゐても無駄だ。まづ憲法を良くする運動をするのが先決だ」と主張して、いまの憲法下であっても、より住みよい社会にするための運動をしようとするのを、意味がないと否定する人――。「そんな人がゐるために、小さな改善運動の足並みが狂はされて現実の日常生活の改善が少しも進まない。それが積み重ならなくっては、結局憲法の運動も盛り上がることもないのだが――」。」(p157)
「憲法が悪いのだから、そんなことをしてゐても無駄だ。まづ憲法を良くする運動をするのが先決だ」と主張して、いまの憲法下であっても、より住みよい社会にするための運動をしようとするのを、意味がないと否定する人」というのが、いわゆる右下の人々と重なって見えるのは小生だけであろうか。
そして、「社会生活の住みよい改善をしようと努力する人人」、これは例えば、経済面では消費税をはじめとした様々な税の減税を実現するために活動している人達、あるいは安全保障面で言うと、防衛費の倍増など、憲法典の条文をいじる前にやれることが山ほどあるのだから、まずはそちらに手を付けろ、と主張する人達、さらには北朝鮮による拉致問題の解決のために奔走する人達など、であろうか。
誰も憲法典の問題が重要ではないなどと言っているのではない。ただ、物事には順序というものがあるのではないか、ということを言っているのである。
当用憲法9条にしても、昭和39年以前と以後で正反対の解釈をしているなど、出鱈目な運用をしているのだ。
憲法典の改正などという恐ろしくエネルギーを使う割に、仮に憲法典改正にこぎつけたとしても逆にもっと悪い結果をもたらしかねないこと(例えば、現行憲法の条文9条1項そのまま残すなど)をするよりは、解釈を昭和39年以前の池田勇人内閣の頃のものに戻すだけで、自衛隊はかなり軍隊に近い行動をとれるようになるのである。
「自衛隊をより軍隊と同じような行動をとれるようにする」という目的ならば、現在の状況で憲法典の改正と憲法解釈の変更、どちらの方法を優先させるべきか。「憲法=憲法典」と考えている人達(引用文中で言うところの「憲法が悪いのだから、そんなことをしてゐても無駄だ。まづ憲法を良くする運動をするのが先決だ」と主張して、いまの憲法下であっても、より住みよい社会にするための運動をしようとするのを、意味がないと否定する人」)は、そのあたりよ~く考えるべきではないだろうか。
憲法典は、憲法の一部であって全部ではない。どうしても書いておかなければならないこと”だけ”を書くべきものであって、何でもかんでも憲法典に書けばいいというものではない。
つまり、条文よりも運用が大事ということだ。いくら立派な条文を書いたところで、その通りに運用できなければ、事実上書かれていないのと同じようなものだ。
経済でも、国民が消費増税とコロナ禍による悪影響で塗炭の苦しみを味わっている(倒産した企業や自殺した人まで出ている)というのに、雀の涙程度の給付金を渡しただけで減税はついぞ行わず。どころか、「炭素税」なる新税を導入しようとする始末。
さしずめ、「財源が無いのだから、減税なんてしても無駄だ。まづ財源を確保する運動をするのが先決だ」と主張して、デフレ脱却をして経済成長するための運動をしようとするのを、意味がないと否定する人」とでも言えばいいのだろうか。
全くもって、このような人々は日本国にとって大きな害悪を流し続けている。
しかし、現状では残念ながら、日本社会では「害悪を流し続ける人」が幅を利かせてしまっている。
こうした状況を一つ一つ改善していくためにどうするか、考えて行動しなければならない。
…神道や神社に関する本を読んだつもりが、またしても脱線してしまった。
しかし、鎮守の森を守ることと、日本を守るということは根っこは同じことのように感じたので、脱線はしたが思うところを述べてみた。