読書感想文:『水壁 アテルイを継ぐ男』 | 倉山塾東北支部ブログ

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高橋克彦『水壁 アテルイを継ぐ男』(講談社文庫 2020年)読了。


今回は少し趣向を変えて小説を。

 

本書は、著者の「蝦夷四部作」(『風の陣』『火怨』『炎立つ』『天を衝く』)に続く作品である。

 

「蝦夷四部作」を未読の方のためにそれぞれの作品を若干説明しておく。

 

『風の陣』は、8世紀半ば~後半の陸奥と平城京が舞台であり、主人公は道嶋嶋足と伊治呰麻呂(作中では呰→鮮)。橘奈良麻呂の乱や藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱、宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)、伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)などを軸とした物語である。

 

『火怨』は、8世紀末~9世紀初頭の話であり、主人公は東北の英雄・阿弖流為。そして好敵手の坂上田村麻呂。

阿弖流為の活躍を描いた物語である。

 

続く『炎立つ』は、大河ドラマにもなっている。時代は11世紀半ば~12世紀後半まで。主人公は安倍貞任・藤原経清、そして藤原清衡・基衡・秀衡・泰衡の奥州藤原氏四代である。前九年・後三年の役から奥州藤原氏の滅亡までの物語。大河ドラマにもなっている。

 

最後の『天を衝く』。時代はさらに下って16世紀末。主人公は九戸政実。九戸政実の乱の物語である。

 

では、本書『水壁』は時代的にはどこかと言うと、『火怨』と『炎立つ』の間、9世紀後半であり、元慶の乱の物語である。

 

主人公は阿弖流為の曾孫という設定である。

 

どれもが東北人にとっては魂が揺さぶられる物語であるが、特に本書は元慶の乱の話とあって、メインの舞台は秋田県、それも秋田市も含まれる一帯である。

 

これまで「蝦夷四部作」で秋田県が舞台となったのは、『炎立つ』の後三年の役くらいなもので、それとて県内陸南部である。

 

ところが本書のメインの舞台は私が生まれ育った秋田市に加えて、県北部一帯(特に米代川流域の尾去沢・二ツ井、さらに大湯や八郎潟)である。

 

自分の住んでいる土地が話に出てくるというのは、何とも嬉しいものだ。

本書で取り上げられる「元慶の乱」であるが、他の作品に出てくる戦乱や事件に比べて史料がかなり少ないようである。

 

しかしながら、蝦夷側が朝廷に対してほぼ完勝した(蝦夷側の要求を朝廷にほぼ呑ませた)、唯一と言ってもいいものでもあった。
 

本書も期待に違わず「俺は東北人だ」という意識を再確認することのできた一冊であった。

 

さて、本書の中で、「これは大切なことだな」と思った一節を感想とともにを書き添えておく。

 

・「人は時代で変わるのではない。自分が時代を変えるのだ。そして変えるためには自分もまたどんどん変わらなくてはならない。」(p92)

 

まさに「どうなるか」ではなく「どうするか」ということだろう。自分が時代を変えるために何ができるか、何をすべきか。ほんの些細なことでもそれが時代を動かす一助になるのなら、できる限りのことをしていかなければならない。

 

・「どうせ何事も人間一人の短い一生では成し遂げられない。続く者を得ることこそが大事なのである。」(p212)

 

自分が一生のうちにできることは確かに限られている。永遠に若さを保って生きられるわけではないのだから。

 

だからこそ、後を託せる人間を見つけたり育てたりしなければならないのだが、これが中々難しい。

 

こういうところで、巻き込む力、そして巻き込む工夫が必要になってくる。

 

仲間を一人でも多くするためにどうするか、知恵を出さなければならない。

 

・「道はいつでも若い者らが切り開く。そう信じて進むしかないのである。」(p352)

 

上につながることであるが、後を託す人間ということは、我々よりも若い世代の人間である。

 

後進の育成がやはり重要である。

 

そしてもう一つ、我々が為さねばならないことは若者たちが少しでも道を切り開きやすくするために環境を整えてやるということ。

 

これも先達としての使命ではなかろうか。

 

・「上下主従関係ではなく対等な存在として自分達の存在を認めさせるための戦い」(p357)

 

蝦夷と朝廷の戦いは勿論、明治維新から日露戦争に勝つまでの日本と欧米列強との間の話にも当てはまることである。

 

相手に自分の存在を「(遜って)認めてもらう」のではなく、「(自分の力を誇示し、場合によっては相手を屈服させて)認めさせる」ということが大事なのだ。

 

・「…いかにも応天門の一件さえなければ今頃はどこぞの国の守あたりに任じられていてもおかしくはない。それが己とは無縁のことで内裏から追われる羽目に。普通なら腐って自棄になる。なのにあの男は学問を続けている。それだけで頭が下がると申すもの。いつかは必ず報われるというよほどの信念なくしてとても続けられまい。」(p138)

 

この台詞は、元検非違使の人間で、山賊となり都を追われ、蝦夷の軍に加わった男の言である。

 

同じく都で、応天門の変のおかげで自らは直接関係はないものの、母が藤原基経に追い落とされた紀氏の出ということで逼塞を余儀なくされていたが、蝦夷側の説得により蝦夷軍に加わった男のことを言っている。

 

経緯こそ異なるが、今の自分も結果として似たような境遇にあるので、どうしても自分のことと思ってしまった。

 

確かに先は見えるようで見えない。今がどん底と思っていても、さらに深い底があるかもしれない。今自分がやっていることで、将来必ず報われるとは限らない。

 

しかし、そこで諦めたら報われる可能性を自ら捨ててしまうことになる。

 

だから、ほんのわずかでも可能性があるのなら、それに向かって努力しなければならないのだ。

 

諦めてやらないというのでは、希望を最初から捨てるということであり、100%報われることはない。絶望を甘んじて受けるだけだ。それは自由人であることを自ら放棄して、奴隷になることを意味する。敵に自らの生殺与奪の権を与えてしまうということなのだ。

 

「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只一燈を頼め。」

たとえわずかであっても、実現する可能性がある限り、努力を止めてはならない。

 

自分を信じて、学びを続けることこそが肝要なのだ。

 

 

…東北は古来から中央に対しての敗北の歴史を刻んできた。だが、抵抗することで自らの意思を示し続けてきた。

 

確かに力では及ばなかったかもしれないが、決して奴隷になることを甘受してきたわけではないのだ。

 

翻って日本という国はどうか。

 

75年前にたった一度戦争に負けただけで卑屈な根性がこびり付いてしまい、自ら奴隷になることを選んできたのではないのか。

 

いつの時代も東北は、敗れても敗れてもそこから立ち直ろうと必死にもがいてきた。今だって9年前の東日本大震災から必死に立ち直ろうと努力している。

 

しかるに、日本はロクな国防努力もせず、政治家は自ら為さねばならないことを財務省をはじめとした各省庁の高級官僚に任せ、その高級官僚たちは自らの「分際」も弁えず好き勝手に仕事をして国益ではなく省益を追求する有様。

 

政治家たちは自らの既得権益を守ることに汲々とし、官僚の説明を受けることが政策についての知見を得ることだと思っている。

 

確かに官僚はその道のエキスパートではあるが、所詮は事務屋であり、公僕である。

 

政治家を操って実質的に政治を行うなどもっての外なのだ。しかし、今の政治家にはそれを咎める意思も能力もない。

 

ならばどうするか?

 

それを考え、形にするために、日々学ばなければならない。

 

そして、日本の現状を打破する先陣を切るのは、大東亜戦争の敗戦のようなことを何度も経験しながらも、その都度必死に這い上がってきた我が東北こそがふさわしからん、と思うのである。

 

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