坂本祐信『近現代日本の軍事史 第一巻 国家生存の要・陸海軍の発展』(かや書房 2020年)読了。
明治以降の日本の軍事の通史を勉強するために、以前から読まねばと思っていた全五巻のうちの、第一巻である。
読んだとは言っても、まだ一回通読しただけなので、今後の研究のためにも繰り返し読まなければならない。
さて、本書は明治建軍からロンドン海軍軍縮条約までの日本の軍事史を書いている。
第1章 新国軍の創設
第2章 陸海軍の拡充と日清・日露戦争
第3章 基本戦略および軍令制度の確立
第4章 陸海軍の軍縮
どの章もとても興味深いテーマであるが、ここでは第3章の内容について若干触れることにする。
塾長もよく言っていることだが、日本近代史の転機は、日露戦争後、日・英・露・仏が結びつき日本だけが安全圏にいて無効十年間は何も考えなくてもよくなった明治四十年(1907年)である。
この年、軍事史においても特筆されるものが二件ある。
一つは、四月十八日に元帥府の諮詢を経て確定した「帝国国防方針」である。
今一つは九月十二日に施行された「軍令ニ関する件」である。
まず、「帝国国防方針」である。
こちらは本書の言葉を借りると、「その後の日本の方向を規制するものであり、その歴史的意義はきわめて大きいと考えられる」(p275)ものである。
そこで、
①制定過程に関して疑念を残していること
②帝国国防方針の取った「南北併進戦略」の当否
③帝国国防方針と同時に策定された「国防に要する兵力」が、その後の政軍関係に大きな影を落とすことになったこと
と問題点を三点挙げている。
①については、政府の検討が充分に行われたものではなく、陸海軍の意向が強く反映されたものであって、それは国家戦略として妥当であるのか、ということである。
②は、南進、北進、南北併進など数ある方針の中からなぜ南北併進を採用したのかという疑問である。
これについては、陸軍と海軍の要求をただ単純に併せただけという視点で見てきたので、中々気づかなかったが、本書では南北併進は、地政学的に避けることはできないのではないか、とする。その上で、「国家戦略を策定する観点から批判するとすれば、この二正面が同時に発生しないようにする政治・外交戦略、国家戦略にまで昇華できなかったことであろう」(p277)とする。
確かにその通りだ。仮に陸海軍それぞれの主敵が違ったとしても、二正面作戦にならないようにするにはどうすればいいかを考えなければならなかった。
しかし、実際は陸軍はロシアと互角以上に戦えるだけの戦力を、海軍はアメリカと互角以上に戦えるだけの戦力を同時に追求してしまった。
③「国防に要する兵力」の問題である。
これはよく知られているように、陸軍は「平時25個師団、戦時50個師団」を、海軍は「戦艦8隻、装甲巡洋艦8隻」(いわゆる八八艦隊)をそれぞれ目標として掲げ、これの実現のために政府・議会に対して強い態度で臨むことになった。
これについては、軍事的な現実をあまり理解しようとしなかった政党側にも問題はあるし、軍事拡充を重視するあまり国家の経済力・国家財政というものを過度に軽視した陸海軍にも大いに問題がある。
国家戦略は、軍事面、経済面などあらゆる観点から検討し、策定されなければならないものであるから、やはり政党と軍がお互いに無理解であってはならないし、こうした各方面からの要求を調整し、大局を見て判断できる人物が指導者とならなければならない。
いずれにしても、帝国国防方針は問題のあるものであり、これが大東亜戦争の敗戦に繋がっていったことは否定できないものと思われる。
続いて、「軍令ニ関スル件」(軍令第一号)である。
これは、「内容的にも形式的にも異例のものであり、軍制上・法制上重大な問題を内包するもの」(p283)である。
この目的は統帥権の独立を確実なものとすることであり、この意義は、帝国憲法十一条に規定された統帥大権の行使に関する具体的な手続きにおいて、行政の関与を完全に排除したこと、すなわち軍令は首相の副署を経ることなく発出できることにしたことである。
これも制定手続きに帝国国防方針同様の問題があった。そして、帝国国防方針と軍令ニ関スル件の制定は、「政府の介入を阻止しつつ軍部の意向が直接天皇に達し、政府抜きで裁可される道筋を作ったということができる」(p286)。
つまり「帝国国防方針が国家戦略の策定において政府の意向というより軍の意向で設定」(p286)され、「軍令第一号は軍令に関する意思決定の手順において、政府の介入を排除する道を切り開いた」(p286)のである。
これらの結果、国家戦略は「帝国国防方針」に規定され、軍令に関する意思決定が「軍令ニ関スル件」で制度化されたことで軍に対する政府の関与が困難となった。
軍令ニ関スル件の制定がその後に与えた影響も、やはり重大なものがあるのである。
明治四十年、日本の軍事史に残る重大なものができた年である。帝国国防方針と軍令ニ関スル件が後の大日本帝国に与えた影響は、しっかりと検証されなければならない。