読書感想文:『桂 太郎――日本政治史上、最高の総理大臣』 | 倉山塾東北支部ブログ

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倉山満『桂 太郎――日本政治史上、最高の総理大臣』(祥伝社新書 2020年)読了。

 

これまでも倉山先生の著書の中で度々登場した桂太郎だが、その桂の生涯を描いた本である。

 

また、桂太郎という人物を通して、明治の日本の政治史を学ぶことができる。

 

以下で感想を書いていく。

 

①本書を読んで初めて知ったのは、桂がヨーロッパ留学で学んでいたものが「政軍関係」であったということである。

 

不肖私も、大学の卒論のテーマが政軍関係だったので(もっとも、論文の名に値するような代物か分からないし、自分で書いたくせにどんな内容だったかもあまりよく思い出せない…)、勝手に親近感を覚えてしまった。

 

日本では政軍関係というと、すぐに「シビリアンコントロール(文民統制)」の話になり、それは「いかに暴力装置である自衛隊を活動できないように縛り付けるか」というような内容の議論になりがちである。

 

「シビリアンコントロール(文民統制)」、あるいは「シビリアンシュプレマシー(文民優位)」というのは、統制という言葉が表しているように「いかに命令できない相手(=軍)に言うことを聞かせるか」ということについての方法である。

 

軍という組織は、国家を守る存在であるから、やってはいけないこと以外は何をやってもよい(ネガティブリスト)の組織である。政府機能が麻痺したときに、秩序を回復する能力がなければならない。反面それは、クーデターを起こす能力と言い換えることもできる。

 

そんな組織をどう統制するか(国家に反逆する能力を持っているので、それをさせないようにしつつも、最低限やってはいけないこと以外は自由に柔軟に動くことができるようにするにはどうするか)ということが大事なのであって、日本のように「有事においても柔軟に動けないように雁字搦めにする」というようなことは、軍というものの性質を考えると、そうした発想は間違っていると言わざるを得ない。

 

日本の「シビリアンコントロール」というのは、実態として「文民統制」というより「官僚(背広組)統制」、あるいは統制というよりも官僚が命令権限があるかのような運用のされ方のように思われる。

 

果たして桂が学んだ「政軍関係」とはこのようなものであったのだろうか。

 

折角日英同盟を結び、日露戦争を勝ち抜いた桂が、現在の日本を見るとどう思うであろうか。きっと草葉の陰で泣いていることだろう。

 

②それから、

 

「首相たるものは、大蔵大臣となってその難局にあたる決心がなければならない。目下のように財政の整理をするにあたり、各方面に向かって交渉が必要な場合、首相みずからその蔵相の職を兼任し、己の意思のあるところを十分発揮しなければ、単に首相は仲裁の立場となり、断固たる処置がとれない」(p207)

 

という言葉もなるほどと思った。

 

元々、英国では首相は「第一大蔵卿」である。また、予算は国家の意思である。首相が蔵相を兼任しても何の違和感もない。

 

まして当時の日本政府の借金は外債(=本物の借金)であり、現在の日本政府の借金のように内債(日本国民から借りているので、お金を国民と政府の間で、つまり国内でやり取りしている)がほとんどというわけではない。健全財政の意味が、明治・大正と現在では違うのだ。

 

本物の借金なので、借金のカタに他国に日本を取られることもありうる。そうなってはいけないから、健全財政に努めるのである。

 

③「亡国の作文」帝国国防方針

 

お役所仕事の典型ではないだろうか。こんなセクショナリズム、縦割り行政の弊害が大日本帝国を滅ぼしたということがよくわかる。

 

かえすがえすも、仮想敵が陸軍と海軍でそれぞれ違う(ソ連とアメリカ)などという愚かなことを続けた挙句に大日本帝国が滅んだことが悔しい。

 

翻って、現在の日本はどうか。

 

当時は敵に回す必要のないアメリカを仮想敵としてしまい、結果二正面作戦を自ら強いてしまったが、本来はソ連のみ仮想敵にしていればよかった。ところが現在は、逆に日本を狙っているのは中国だけではない。隙あらばロシアも狙っている。

 

今回は自らではなく、敵に二正面作戦を強いられているような状況である。まして日本は当時の大日本帝国とは違い弱小国。

 

そんな時に、確かに中国は東シナ海や南シナ海で不穏な動きをしているので南西方面の防衛体制の強化は必須だ。しかし、だからといって北部の防衛は疎かになっていないだろうか。ロシアが攻めてこない保証などどこにもない。あまつさえ日本は敗戦直後に北海道はおろか東北までソ連に取られてしまう可能性があったというのに…

 

同じ失敗を繰り返すことは許されない。

 

④最後に、

 

「予が生命は政治である。これを止めて長生きしたところで生きている甲斐がない。」(p272)

 

こんな言葉が似合う人間でありたいし、そんな人間になりたい、と思える言葉だった。