こんにちは、倉橋あづさです。
♦不自由な世界からの脱却~UMIで人生を変えた私③
わたしは気が付いた時にはすでに
何を見ても、聞いてもすぐ
「自由がないな」って思う
癖がついていました。
テレビのニュースを見ても
子どもの参観日に行っても
その後の懇談なんか特に(笑)
あーー、なんて自由がないっ!
こんな時代に生きるしかない
可哀相な わたしと子どもたち
っていう目で見ていました。
ささいな言葉尻を捉えて
「自由がない」に自動変換していたんですね。
「この世界には自由がない」病
と命名します(笑)
「世界は自分で創っている」
のUMI宇宙の法則で言うと
わたしの思い込みが
自由のない世界を創っていることになります。
わたしの親は
世間一般的に見ても
厳しい親ではありませんでした。
大きな制限をかけられて育ったわけでもありません。
なのに、わたしは
気が付けば、ものすごい窮屈感と
不自由なつまらなさを感じていました。
いい子で優等生だったので
そのポジションを守るために
自分で自分に制限をかけまくっていたのですね
母のことが、とにかく大好きだったので
「母の望みそうな子」を
自分に課して生きていました。
母の望みそうな子って
母に聞いたこともないのにです(笑)
そのくせ、UMIで掘っていくと
お母さんのせいで自由がなかったなどと
自分勝手な責任転嫁をして
内心やり場のない怒り抱えていたことに気がついたり。
そんなんで
ひとりで自分の首を絞めていましたので
自分で望んで不自由な道を選択し続けていたわけです。
で、何を見ても
不自由な世の中だなぁ~と思い
せめて
子どもには自由に羽ばたいて欲しいを思う。
わたしはもう自由には生きられないから
せめて子どもには・・!
なくせに、DSは持たせたくないとか(笑)
そんな謎な
「子どもには自由でいて欲しい」病も
けっこう強くありました。
でね
自由って何でしょうね?
そう聞かれると
具体的に、はっきりした答えが出せない自分がいました。
自分もよくわかってないのに
子どもにそれを望むって、おかしな話ですよね。
「自由になれ」
コントロールだったなぁと思います(笑)
制限かけてる親と、やってることは同じです。
UMIで心のブロックを解消して気が付いたのは
子どもに望みを託す前に
自分がやればいいってこと
自分が思う
自由な世界を創造すればいいんです。
それを見た子どもが、いいなぁ~と思えば
子どもも自然と、そう生きるだろうし
魅力を感じなければ
その子なりの生き方で生きるだけ。
わたしはわたしなりの生き方で
自由を体現していくことしかできないんだなー
と思いました。
そこにコントロールはいらない。
わたしの自由って、わたしらしく生きること。
自分の心からの、やりたいことをやる。
感覚と直感に従って、自分を信じて生きる。
自分の中の、自由の定義を明確にして
そこを目指してやってみる
自由でいることも
いないことも自分で選ぶことができる
ということがわかってくると
何を見ても
自由か、そうでないか?
というフィルターがなくなってくるので
自由がない、と感じることがぐーんと減りました。
不自由さを選ぶ自由もあるってことです
それもこれも
ぜーんぶ自由なんだー
そういうことに気が付けたこと
それが、UMIプログラムで学んで
わたしがすごく良かったと思ったところでした。