クリスマスデイトゥーユー。

私である。

 

"毎年暇"でおなじみクリスマスが本年も欠かすことなくやってきた。

おそらく千年以上も施行されているであろうクリスマス、

一年くらい休んでも、誰も文句は言わないはずであるがなんとも律儀なものである。

特にやることもなく、都合毎年休みになってしまい、外に出かけようにもまざまざと見せつけられる社会的幸福度の相対評価に押しつぶされてしまうので、数年に一度はナシにしてほしいものである。

 

さて、クリスマスといえばなんだろうか?

 

そう丼(どんぶり)である。

 

なんだかスノードームとやらは丼をひっくり返したかのような形状をしているし、

クリスマスと親子丼も同じ5文字であることから、これらの近似性は非常に高い。

 

本日は誰もが丼に思いを馳せる日であり、老若男女誰のどのご家庭でも、何かしらの丼が食されているはずである。

 

いけない、読者諸兄を今まで以上のスピードで置き去りにしてしまった感が否めない。

今までは”わけわからないけど、ギリギリ理解はできる”程度の妄言をお届けしてきた当ブログであるが、

今回に関しては群を抜いて…というかむしろ筆者が変わったのではないかと思えるほどの暴投ぶりをお見せしている。

 

クリスマスには何かしなければいけないという使命感と、

特に考えることもないので丼のことを考えてしまっていた現実の私が生んだギャップが、

大きなひずみとして、この掃きだめへと降り立ってしまったのだ。

 

しかし、本ブログ開始以降連綿と続く「こんな文章読む方が悪い」という厚顔無恥な姿勢を今回も貫き通し、

文句も苦情も断固として受け付けないことを改めて明記しておこう。

 

さてそれでは丼の話をしよう。

こと日本においては、国民食と言って差し支えない料理であり、

現代においてはサラリーマンのランチとして、500円で引っ張りだこの人気者である。

 

例えば牛丼

押しも押されもせぬ、丼界のエースである。

牛肉という高級嗜好品を、どういう魔法を使ったのか異常な安さで提供してくる異常性に若干の不信感を抱きたくなるが、真実これは牛肉である。

コストパフォーマンスにおいてこれほど卓越した存在はサイゼリアしか発見されていないという。

 

ぶた丼も捨てがたい。

牛丼が甘辛く煮つけられたすき焼き風の味をどこでも提供しているのに対し、豚丼は各社の個性が見られる。ネギ塩味でパンチとさっぱり感を両立したものや、コチュジャンなどでピリ辛に味付けされたものなど、一口に豚丼と言ってもその姿は多岐にわたる。

牛丼が煮るという調理法を選択していることに対し、豚丼は焼きや炒めなどを採用している点も大きな違いといえるだろう。

 

次に親子丼だ。

鶏肉と玉子を使用した大人から子供まで広く愛される丼である。

卵と鶏を指して親子としており、それらの死体を丼の上で再開させるなんとも残酷な丼としてインターネットでは有名である。

しかしながら、我々が口にする卵の多くは無精卵であることから、この鶏と卵に親子関係はない。

丼の上で一緒になっているのは、動物の死体と、その排泄物である。

 

他にも玉子丼、海鮮丼、スタミナ丼など、飲食業界のブイズと言えるほどに多くの種類とその愛らしさでもって、我々の食卓を彩るのが丼である。

 

然し、待て。

私は一杯だけどうしても許せない丼が居る。

 

 

かつ丼である。

 

 

確かに美味しい。

好きな丼ランキングを作れば、かなりの上位、いや一位に輝いても何ら不思議ではない。民意も納得するところであろう。

だが許せない。

 

丼の構造とは実に単純明快である。

大きめの器の下部にはご飯が盛り付けられ、丼顔と称される上部には、自身が何たるかの証明として具材が乗せられている。

 

それぞれの丼が自身の存在を偽ることなく名で表し、人と丼の間に誤解が無いよう相互理解に努めている一方で、このカツ丼だけは人類をたばかっている。

 

そう、乗っているのはどう考えてもカツではなくカツ煮である。

 

牛丼の上には牛肉が乗っている。

豚丼の上にも豚肉が乗っていただろう。

親子丼に関しては議論の余地があるように思えるが納得はできる。

海鮮丼も海鮮が乗っているし、玉子丼にも卵が乗っている。

スタミナ丼に関しては、もはやスタミナとしか言いようがないだろう。

スタミナの概念を具現化すれば、おのずとあの形になる。

 

しかし、カツ丼は違う!

”カツ”と言って諸君らが想像するのはこちらのカツのはずである。

 

今日の晩御飯はカツよ~

とお母さんに言われてこれ以外を思い浮かべるという人は、

よっぽどのひねくれものか、育児が特殊な思想の元に行われてしまった被害者だろう。

誰が何と言おうとカツはコレである。

 

だとすれば、カツ丼と名乗るのであれば、これがご飯の上に鎮座ましましているのが通りであろう。

にもかかわらず、恥知らずなカツ煮は自らを”カツ”であると嘯き、我々を欺き続けているのである。

 

なんと許しがたいことだろうか。

 

ちなみに長野県は駒ケ根では、ソースカツ丼が有名である。

明治亭を名乗るこのカツ丼屋のソースカツは実に美味であり、関東とは違い甘めのたれを全身にまとったソースカツ丼は、ここでしか食べられない絶品丼である。

生活の利便性において、東京に大きく引けを取る長野県ではあるが、このソースカツ丼が食べられないというのは大きな損失である。

こんなにおいしいのだから東京でもぜひ流行していただきたいものだ。

 

本日は以上である。

年の瀬も近づく今日この頃、私も年始には帰郷するので、祖父母の顔を拝むとともにカツ丼を食べに行きたい。

 

…年末年始って営業してるのか?