諸君、私である。

今回も壁打ちのお時間である。

 

壁打ちというのはつまりこのブログのような何かのことである。

 

私はこの愚にもつかない駄文の中で幾度となく“諸君”と呼びかけてきたが

しかしながら実際のところ読者の想定などしていない。

 

私は私が書きたいことを書いて、私の中にいる客観的な自分に見てもらい満足を得ているのだ。

そうとも自己満足である。

なのでこの自慰的駄文を私の友人が時たまみていて、

あまつさえ感想をくれるなんて時にはギョッとしてしまう。

こんなものを読むことより、人生にはもっとやるべきことがあるはずである。

 

さて今回は、表題の通りである。

私はこれを何度も言っているが、

やはり理解を得られないので具体的に書いていこうと思う。

 

わかりやすい例で名言bot筆頭、歌舞伎町の生ける伝説ローランド先生のお言葉を頂戴しよう。

 

俺は目指さない、目指されるんだ

 

なんとも含蓄のあるお言葉である。

誰かを目指すなんてそんな次元にはいない。

むしろ自分が道しるべとなれるよう、自らを律し常に自分がベストであるという矜持と責任を持っていることを感じる。

では人を変えてみよう。

 

俺は目指さない、目指されるんだ

 

もうどう見ても駄々っ子である。

お前が指されるのは目じゃなくて後ろ指である。

仮に全人類がお前を目指したらKクラス世界終焉シナリオである。

 

もう少しパブリックな例を出すと、

「お客様は神様です」

などいかがだろうか?

 

店舗側「お客様は神様です」

もちろんこの語が正しいかどうかは置いておいて、

その真意は店内のサービス向上、接客における心構えであることが見て取れる。

海外の熱心な信者の方には伝わらないだろうが、

日本的な宗教観では、ある意味行動の指標としてわかりやすい言葉かもしれない。

 

一方で

客側「お客様は神様です」

再三言われているのでわざわざ私が説明するまでもないだろうが、

そりゃおかしいのである。

神を自称するのはよっぽどのトンチキであり、

実際に神を自称した人間がどうなるかは、諸君の知るところであろう。

もちろんその手合いを相手にするのは大変危険なので、

名前も上げなければ説明もしないが。

 

つまるところこの語を使っていいのは、

サービスを提供する側であり、消費者側のための言葉ではないという話である。

 

このような言葉やある種の行動指標はたびたび誤解されがちである。

 

男性のキュンとする仕草に必ずランクインする

「頭をポンポンする」

 

これは"何もしなくてもキュンとするような眉目秀麗見目麗しいイケメン男子"がやるからキュンとすると言っているのであって、

"お前のような脂ぎった勘違いくそデブインキャ"がやっていい行為ではない。

むしろ虫酸が37.85km/hで42.195km駆け巡るのである。

通報されないだけありがたいと思って、今後は分をわきまえた行動をとっていただきたい。

 

いいか、世の男子よ!!! わきまえよ!!!

お前に好意を持たれた時点で相手は不快と思え!!!

イケメンとお前は違う生き物である!!!

 

お前なんかが褒めるな!!
下心を感じて不快になる! お前ごときが褒めるなんていう目上の人間がするべき行為に手を出すな!

 

お前なんかがレストランを予約するな!!

重い! シンプルに重いしダルい!

 

お前なんかが些細な違いに気づくな!!

観察されていると思うとサブイボが立つ、ストーカー被害として訴えてもいいんだぞ!

 

自分を大きく見せるな!

見栄を張るな自慢すんな虚言吐くな、お前が大きいのは腹くらいだ!!

 

喋るな動くな外出るな!

 

良いだろうか諸君。

我々にできることは二つ!

"関わらないこと" ”黙って金を出すこと”

以上だ!!

 

いいか、モテる技術を使うにも顔の良さが必要だ。

モテる男の技術というのは

”モテる男が女を落とすためのテクニック”であって

"モテない男がモテるためのテクニック"では決してない。

 

「俺もモテるようになりてえな」はそもそもが無謀なのだ。

今モテてなきゃ一生モテない。

恋愛も百均も、そこに無ければ無いのである。

 

失礼、話が脱線に脱線を重ね、もはや所在不明になってしまった。

 

要は分相応であれということである。

何をいうにもやるにも、それ相応の自分になってからである。

そのギャップが埋まらなければ、何を模倣しても、うすら寒いだけである。

 

ゆえに平身低頭、己をわきまえ、私は今日も引きこもるのだ。