始める前に…

 

本文は一切がジョークであり、

飲酒、主に飲み会文化を批判する事におけるユーモア性を主眼に置いた文章であることを強く念押ししておきます。

 

お酒や飲み会が好きな方が気分を害される内容が多分に含まれておりますので、

冗談を冗談と受け取れる方のみがお読みください。

 

と言うか、今回も私の不満のはけ口である。

 

 

有り体に言って、私は飲み会が嫌いである。

酒が嫌いで、目上の人間が嫌いで、酒に酔った人間が嫌いだからである。

言わんや飲み会とは私の嫌いフルコースである。

3種盛り合わせである。地獄の釜茹でである。

 

先に断っておくと、居酒屋自体は好きである。

美味しい料理と自由に喫煙できる空間。

タバコに対する世間の風が、北極圏のそれになりつつある昨今において、居酒屋とは喫茶店に次ぐ我々のオアシスである。

4月よりついに飲食店では喫煙そのものが出来なくなる東京ではあるが、

あと1ヶ月余りは好きでいることとしよう。

 

仲のいい友人と一緒に行くのも好きである。

私は友人を選ぶタイプなので、

当然、私に酒を勧めないし

「酒を飲めないなんて人生損している」

「飲まず嫌いなだけ」

「酒は吐いて強くなる」

なんて唾棄すべきセリフも吐かない。

 

なにが人生損してるだ。

お前の人生はエチルアルコール如きで左右されるほど薄っぺらいとでも言うのか。

さっさと気化してしまえ。

 

飲まず嫌いじゃない。

飲んだ上で嫌いなのだ。

臭い、苦い、不味い、吐き気をもよおす。

飲むと頭痛がするし、心拍数がありえないくらい上がる。鼻呼吸が出来なくなり、目を開けていられず、寒気がするのに体が熱い。おまけに吐き気がする。

インフルエンザ体験キットかこれは。

 

何が吐いて強くなるだ。

そのゲロを誰が掃除するんだ誰が。

日本人は極力他人に迷惑をかけない民族なのだ。

非国民も甚だしい。

黒塗り爆音ハイエースに轢かれて死ねば良い。

日章旗の塗料にくらいはなるだろう。

 

失礼、口が悪くなった。

もちろんこれからも良くするつもりは無いが。

 

飲み会というのはとかく嫌いに溢れている。

酔っ払い上司のクソつまらない話をえんえん聞かなくてはならない

飲んでるヤツらは正常な判断が出来ていないので、

つまらん話も面白く聞けるだろうが、こちらはシラフだ。

1時間も経とう頃には、頬肉が痛くなる。

ちなみに私はここを愛想笑い筋と呼んでいる。

飲み会の最中ほっぺの上の方をマッサージしているやつを見かけたら、

それは間違いなく愛想笑い筋肉痛だと思ってもらって構わない。

 

飲み会において、死ぬほどタチの悪いセリフがある。

「酔った勢いで言うけどさ」だ。

なんだ、それを言えばなんでも許されると思っているのか。

私は今酔ってるから無罪ね!とでも言いたいのか?

冗談じゃない。何度も言うがこっちはシラフだ。

お前は罪悪感の欠片もなく言いたかったことを言ってスッキリし、翌日には忘れてしまうだろうが、こっちはバフがかかってないのだ。

普通に傷つくし普通に根に持つ。

いいか、飲まない奴は飲んだやつの失言を忘れることは無い。

実はあの時内心こう思ってたとか、

その時言えよと。

その時言えないなら一生黙ってろよと。

酒の力を借りなければ言えないような事は、

そもそもそれを言うのがあなたの器ではできない事と言うのを肝に銘じていただきたい。

 

飲みの席での男女ほど嫌いなものはない。

酒の力で言い寄る男が嫌いであるし、

酔ってしまって介抱のクダリなんかは心底嫌いである。吐き気がする。

一生言い続けるがアレはなんなんだ?

自分の力量も分からず馬鹿みたいに酒を飲み、

具合が悪くなったら大丈夫かと、

やたらボディタッチ多く介抱する。

介抱してる奴もしてる奴で、何だか良いことをした風で、とんでもブ男の癖にいい男である風を装う。

解放に行った先のトイレのそこが抜けて、

ともども糞まみれになりくたばればよい。

 

さて、散々飲み会をこき下ろしてきた私であるが、

昨今はどうも飲み会自体が形を変えてきている節がある。

 

いわゆる…のかはしらないが、

私の周囲では肉会と言うのが主流になりつつある。

 

私の周囲には嫌酒家とまでは行かなくても、

酒が飲めないという人が多い。

いや、おそらく以前からこの手の人はいたはずなので、

正確には酒を飲めないと宣言できる空気感というか、

世間の風潮が大きく関わっているのだろうが。

 

いいじゃないか肉会。

是非ともこれからは親睦を深めるのも、忘年も新年も新歓も

全て肉会でいいじゃないか。

 

しかし、例えそうなっても、

また数年後には肉が食えない人はどうすれば良いんだみたいなことになり、

やがて肉会もなくなってしまうのだろう。

 

要は世間の大多数は、

好きでもない人間のために給料の発生しないプライベートの時間を消費するのが嫌なのだ。

そしてかくも昨今の日本では否定語の方が強い。

それが全体のわずか数パーセントであっても、

あたかもそれが全体の意見であるかのように見えてしまうのである。

恐ろしやネット社会。

 

さて、数ブロック前から着地点を見失った本稿であるが、

それで良いのである。

 

ブログでもエッセイでもない駄文の書き連ね、

言いたいことを言って衆目に晒すことこそがこの名づけがたい文章の目的であり、

本当に言いたいことは割と前半で言ってしまっているのだから。

この消化不良感の残る惰性で書いた文を楽しんでいただけたら幸いである。