失礼、私の大好きな歌であるところの

「クリスマス何それ美味しいの?」の冒頭を題名にしてしまった。
 
私は恋愛事が嫌いであるし、
特にクリスマスがことさら嫌いである。
 
バレンタインは社会人ともなれば、女子によるお菓子無料配布会なので、目をつぶろう。
成人してこの方、全く何も貰えないことは無かったし、
もし貰ってない人がいたのなら、自らの人間関係から見直すべきである。
 
しかし、クリスマスだ。
いつからこんな事になってしまった?
 
そもそもクリスマスとは主たるキリストの降誕を祝う祭りだったはずだ。
ちなみに降誕祭なだけであり、誕生日では無いらしい(wiki参照)
 
しかし、日本に縁遠いキリスト教の話と絡めてしまうと言うのも、
なんだか因縁の付け方に品が無いのでこの話は置いておこう。
 
それでだ。 
諸君、記憶を10と数年ほど戻して欲しい。
いや、人によっては10年じゃ足りないだろうが、
ともかく子供の頃まで戻して欲しい。
 
クリスマスは恋人のための日であったろうか?
もちろん違う。
 
 
日本人にとってクリスマスとは、
サンタさんという慈善爺が子供のためにとプレゼントを配って回るイベントであったはずだ。
 
私も朝起きたら枕元にその時流行りのカードやゲームやホビーが置いてあったことを今でも覚えている。
 
クリスマスとはサンタクロースこと大人の我々が、
子供たちに夢を与える、願いを叶える。
そんな心温まる素敵な日ではなかったであろうか?
 
ケーキやチキンやピザを囲み、家族で団欒する日ではなかったであろうか。
リビングにミルクとクッキーを置いて眠るのではなかっただろうか。
 
しかし、昨今のクリスマスの有り様はどうだ?
どいつもこいつも浮かれ気分で街に繰り出し、
いい男といい女がいい事する日に成り下がっているではないか。
 
クリスマスが近付くと恋人が居ないものは、
我先にといらぬ恋路に走る。
その末に中途半端な相手をとりあえず妥協して捕まえ、
クリスマスに恋人がいるという事実上無価値なステータスを得て安堵し、
やがて年が明けた頃に冷静になって別れる。
 
これは統計学的にも明らかになっており、
クリスマスをメルクマールにカップルの数は増加し、
年が明けた頃にはその数は落ち着いてしまう。
 
一説には冬が故に日照時間が少なく、
幸せホルモンが分泌されずに結果として現状に不満を持ってしまうというのも関係しているとされているが、
それではクリスマスに増える説明になっていない。
 
ようは、クリスマスは恋人と過ごすなどという間違った価値観が広がり、それこそがステータスであると認知された事で、
「そのステータスがない自分は世間的に落ちぶれている」などという間違った強迫観念めいたものが世俗に蔓延しているからに他ならない。
 
そしてその強迫観念に耐えかねたものは、
明らかな妥協をし恋人を作ってしまう。
 
なんと嘆かわしい。
 
クリスマスを独り身で過ごした君よ。
君は決して敗者ではない。
世間に蔓延する価値観に流されず、
自らの価値観で持ってこの日をすごし、
ついには君は生き抜いたのだ。
むしろマジョリティーに対する勝者である。
もちろん私も勝者だ。
 
ふう、スッキリした。
こういう文でも書かないとやってられないのだ。
もちろんこんな文章を書き連ねなければ己を保てない時点で敗者であるが、
しかしクリスマスに何も感じなくなってしまうというのも、老衰してしまったようでつまらない。
世間の催事にはなるべく触れているのがよい。
 
世のカップルにあまねく嫉妬と怨念を。
私の目の前でイチャつくカップルがなるべく悲惨な別れ方しますように。