思い出というのは時間とともに薄れていってしまうものだ。

特に最近はそう感じることが多くなってしまった。

日々はあっという間に通り過ぎてしまい、

子供の頃は1日でも1時間でもえらく長く感じたものだが、

今や1時間待つなんてことは容易になり、

気がついたら一月経っているときたものだ。

これからさらに時の流れが加速していくと思うと、

瞬きしたら老人になってしまうのではないかとも思ってしまう。

 

さて、前置きが長くなってしまったが本題。

 

面白かった思い出は、忘れる前に書いておこうということで、

二年前の冬の出来事。

 

話を始める前に先に紹介しておきたい人物が居る。

友人のM氏だ。

 

M氏は中性的な見た目からそこそこモテるが、

その綺麗な器に汚い精神を宿す、悪魔のような人間だ。

そして話題にことかかない。

 

ロードレースの大会で優勝したはいいものの、

その時の写真がネットに転がりみんなのおもちゃにされたり

なぜか制服にウンコをつけて登校してきたり、

卒業式の日に黒板に巨大な男性器を書いて記念写真を撮ったり、

小学生で心の成長を止め、およそできうる限りの阿呆をやり尽くした人間だ。

いややり続けている人間だ。なおも更新中である。

 

そして今回もの話もやはりM氏のやらかし話だ。

 

その日は大晦日。

実家である長野に帰省していた私は肌を刺すような山の寒さに震えていた。

長野県はどこにあるのかご存知であろうか?

実は東京都とそれほど離れているわけではない。

 

車で2~3時間程度で行き来できてしまう。

しかし、問題なのは標高である。

平均標高約1000m、日本で一番平均標高が高い県である、そうだ。

富士山のある静岡山梨を抑えて堂々の一位。

ちなみに私の生まれ育った町の標高が970m

スカイツリーなぞ私にとっては地下である。

地底人諸君、天界人たる長野県民を敬うように。

 

標高が高いので、緯度が高くなくてもとても寒いのである。

そんな長野の大晦日、私は友人とともに友人の祖母の家で年を越す計画の真っ只中であった。

 

長野県大鹿村

その昔は諏訪の神様が居たり、霊的な力のある

霊験あらたかな土地であったようだが、

信仰はおろか人も大きく減り、人口千人に満たない過疎地である。

 

つまり、若者の有り余るパトスを吐き出すに、これ以上とない絶好の地だ!

どんなに大騒ぎしても誰も怒らない!全ては雄大な自然と途方もない量の雪が包んでくれる!

 

私たちは5名ほどで麓の町での買い出しを終えた後、

大鹿村へと向かった。

 

今回年を越す家というのはこのM氏の祖母宅にあたる。

高齢化により一人で生活できなくなったM氏祖母は、

今は家族と共に住んでいて、

家はほぼ空き家状態だそうだ。

騒ぐのにお誂え向きの環境である。

 

M氏の運転するジムニーを先頭に、

我々は山道を登っていった。

私は2台目の助手席に乗っていたが、

しばらくすると先頭のM氏ジムニーがぐんぐんスピードを上げていった。

おいてかれては仕方ないので我々も曲がりくねる峠道を登っていったのだが、

しばらくした地点でグワンと目の前のジムニーが揺れた。

 

ジムニーが揺れた地点を見て見るとそこには崖が…。

あわや大惨事である。

 

友人との久しぶりの再会に調子にのってスピードを上げて転落しそうになる。

そうである、こういう男なのであるMは。

 

ちなみにこの後程なくしてこのジムニーは廃車になったようだ。

今は可愛い軽自動車をおとなしく運転しているようである。

 

程なくすると家に着いた。

あたりはすっかり日が落ち、

街灯のない周辺は夜闇に埋もれていた。

長野の冬の夜空はため息が出るほどきれいだった。

それにほのかに照らされた山肌は真っ白な雪化粧をし、

この家がなければ遭難もかくやといった状況である。

 

家に着くと早速物色の開始である。

まだ食器も綺麗だったことから最近までは住んでいたことが伺える。

もしかしたら定期的に帰ってきているのかもしれない。

 

と見たこともない祖母氏に想いを馳せて居ると

 

「まじかぁぁぁぁぁぁぁああああ!」

 

悲鳴ともつかないM氏の声が聞こえた。

声のした方に歩いていくと、扉の中からM氏が青ざめた顔で出てきた。

 

「お、落ち着いてきいてくれ。…トイレが流れない!」

 

全員強制ウンコ我慢大会の開始である。

 

便器の中にはM氏の搾りたて生ウンコがプカプカと浮かんでいた…

かは定かではないが、どちらにしろそれ以上トイレに入るのは気が進まなかった。

 

どうやら寒さで水道管が凍結しているらしく、

どこの蛇口をひねっても何の反応もない。

冷静に考えれば当たり前なのだが、

偏差値36のFラン高校卒業生が何人集まっても文殊に遠く及ばなかった。

 

持ち込んだ酒等の飲み物があるので飲食には困らないが、

ちょっとしたサバイバル気分である。

 

そんな騒動を演じつつも、時は夕飯である。

大のBBQ好きの私によるほぼ一方的な要望により、

本日は庭でBBQをする運びとなった。

 

とはいえ、庭は雪で埋もれているので、

正確には家の前の私有地であるが。

 

なぜか炭と網は用意したのにコンロを忘れるという謎ムーブを見せつけ、

祖母宅にあった一斗缶を代用するという一幕もありつつ、

なにはともあれバーベキューである。

 

寒かったので、元キャンプ場勤務のM氏指導のもと焚き火も設置した。

薪が保管してある祖母宅に感謝である。雪国の田舎様様だ。

 

周辺は肉の焼け具合も確認できないほど暗かったので、

全員県外となってその存在意義の大半をなくした携帯のライトを使用した。

 

2016年の暮れ、文明の3分の1くらいを失った我々の年越しは、

じんわりと温かな焚き火を囲みつつ、

うまいともまずいともいえない半ナマ肉をかじりながら、

とてもゆっくりと過ぎていった。

 

 

宴もたけなわ。

年越しのカウントダウンも済ませ、満腹からくる眠気に、

それぞれ撤収を始めることとなった。

 

と、一人が口にする。

 

「なんか、甘い匂いしない?」

 

私もずっと気にはなっていた。

甘いような臭いような、独特の匂いが漂っている。

なんだろう、どこかで嗅いだことのあるような。

 

皆口々に共感し、匂いの元を辿った。

 

「焚き火から変な匂いする。」

 

また一人がそういった。

確かに、焚き火の周囲にくると匂いが強くなるような気がした。

 

恐る恐るシャベルで焚き火をバラして中を見てみる。

と、変な感触に行き当たった。

 

確か私たちは家の前、アスファルトの上で焚き火をしていたはずだ。

にもかかわらず、地面が炭と一緒に掘れたのである。

直感した。

 

“熱でアスファルトが溶けたのだと”

 

自分の祖母の家の前に大穴を自ら開けてしまったことに気が付きみるみる青ざめるM氏。

その様子を見て大笑いする私たち。

 

M氏は怒りようもない、自ら焚き火を提案し、

また自らキャンプ場での勤務経験を持ってアスファルトの上で火を起こしたのだから。

 

結局周囲が暗くてよく見えないので、

片付けはそこそこに我々は床につくことにした。

 

結果から話すとその後M氏は父親に電話越しに大いに怒られ、

私たちはやはりその様子を見て大いに笑っていた。

 

なんのこともない、得られる教訓もない。

ただ面白かった思い出、一冬の記憶である。

 

冒頭で私は忘れぬうちにと書いたが、やはり杞憂であろう。

これほど面白かった出来事をどうして忘れられようか。

 

しかし最後にどうしても強引に教訓を引き出すとするならば、

「流石のアスファルトも直火は溶ける」だろう。

読者諸兄におかれましては、焚き火をする際くれぐれもアスファルトの上では焚かぬようお気をつけください。