わたしは自分で設定していたはずのルールを自ら踏み越えていた。
いつの間にか、知らず知らずのうちに分水嶺を越えていたのだ。
わたしの願いはただひとつだった。
彼に幸せになってもらいたい。
そのために自分が報われなかったとしても、そんなのはひどく些細なことのように感じた。
自分が性別やいろんなものを超えて天使になれたらいいのにと思った。
ひとびとに福音をもたらし、そのことを教えてあげられることが使命の、そんな存在になりたかった。
盲目の老人の手をとって町の様子を教えて聞かせ、幸せなひとときを過ごさせてあげるアメリのような存在に。
もちろん今でもそう思っている。
家庭を捨ててわたしといっしょになってほしいとは思わない。
秘密裏の交際をしてほしいとも、その腕に抱かれたいとも思わない。
彼がわたしのことを信頼してくれていることをひしひしと肌で感じる。
わたしにはそれだけで十分だった。
それはあらゆる人間関係において簡単には得がたい種類のものだし、
努力を払わなければ容易く崩れ去ってしまう脆いものでもある。
それが得られているというのを、幸福と言わずしてなんと言おう。
わたしは注意深く結束と瓦解のバランスを見極めながらこれまで来たつもりでいた。
踏み込んではいけない一線は確保し、他の誰でもない自分にしかできない役割を見出したときには自ら進んで踏み入った。それは彼が特に欲している関係性のように思えた。
デリケートでシビアな判断が必要だったけれど、特に難しいと思ったことはない。
わたしには自然とそれらを嗅ぎわけることができた。
「与えられることを求めてはいけない」
充足も期待も、すべて自分に向かって発せられるべきものだと故岡本太郎氏も言っていた。
満足も、喜びも、それらが他者から自分にもたらされることを求めてはいけない。
それは不浄な希求なのだ。
けれど、いつしかわたしは彼との関係の中に充足を見出すようになっていった。
彼と関わっていられることが喜びとなり、自然と会話の機会も会う機会も増えていった。
好きな人に会いたいと思うことは自然なことだとは思うけれど、
わたしの場合、それをそのまま行動するわけにはいかない。
何せ相手は結婚しているのだし、わたしと恋愛関係にあるわけでもない。
それにわたしは、彼のことを好きだからこそ彼に幸せになって欲しいと思っているのだ。
しかしわたしは彼と会えることに喜びを禁じえなかった。
それを思いとどめることができなくなっていた。
彼を思ってやっていることの中にいつしか自分の喜びのための成分も含まれるようになり、
昨年末に引っ越して家が近くなったのを機に、付き合いは日増しに濃くなっていった。
彼の奥さんと仲良くなってしまえば、とわたしは前々から思っていた。
そうすれば(ありえないことだが)どんな状況になろうと一線を越えるようなことは絶対にできなくなる。
嫉妬に苛まれることになろうと、それが効力の高い最終砦になるだろうとわたしは踏んでいた。
そんな折に奥さんの提案で彼の家に招かれ、食事をごちそうになった。
別の機会に彼女のご両親にも紹介され、とても気に入っていただいた。
こうして外堀は着実に築かれていった。
わたしの予測は的中した。
今では奥さんのご実家にいっしょに食事に呼ばれるほどの家族づきあいをさせてもらっており、
これはもう一筋縄ではいかない関係になってきた。
(とはいえ、どうしてわたしがそれほどまでにご両親に好かれているのかあまり理解できていないのだけれど。ふつう、あまり快く思わないものじゃないかな?娘の夫の女友達。)
そんな強固な城壁とはうらはらに、わたしは彼と会えることの喜びに警戒心をはらうことを忘れてしまうようになっていた。
ごく当然のようにいっしょに行動し、彼の予定が自分のスケジュールを組む上での重要事項になっていた。彼の通院の時間帯には予定を入れないで病院に付き添った。
ある日、彼の口から不吉な響きのする台詞がこぼれた。
つづく
先日DEAN & DELUCAで食べたプレーンスコーンが甘くなくバターの塩味が効いてておいしかったので、
焼き菓子は「バターの塩味派」になってます。
砂糖は絶妙なラインを狙って少しだけ。
それでほぼ毎日焼くパンケーキにもそれを適用してるわけなんですけど、
生地の段階で味を見るべくちょっと舐めてみるんですよ。
といっても生地を混ぜたあとに何かを足すことは基本的にはしないので、
生地の配合の確認といったところです。
それで気づいたことが、生地と焼き上がりとでは、生地のほうが甘く感じるということ。
うむむ、これはおかしい。
スクロース(ショ糖)は温度が高いほうが甘みを感じるはず。
フルクトース(果糖)だったら逆だから合点がいくけれど、なぜだ??
わたしはいつも焼く前に生地を冷蔵庫に入れて休ませます。
冷えてたほうが焼くときにも形が崩れなくて厚焼きしやすい。
だから味見のときの生地は冷えてて、いっそうスクロースの性質が出るはずなんだけれど・・・
誰か答えを教えてください。
納得の答えをくれた方にはくら子謹製パンケーキを差し上げません。
焼き菓子は「バターの塩味派」になってます。
砂糖は絶妙なラインを狙って少しだけ。
それでほぼ毎日焼くパンケーキにもそれを適用してるわけなんですけど、
生地の段階で味を見るべくちょっと舐めてみるんですよ。
といっても生地を混ぜたあとに何かを足すことは基本的にはしないので、
生地の配合の確認といったところです。
それで気づいたことが、生地と焼き上がりとでは、生地のほうが甘く感じるということ。
うむむ、これはおかしい。
スクロース(ショ糖)は温度が高いほうが甘みを感じるはず。
フルクトース(果糖)だったら逆だから合点がいくけれど、なぜだ??
わたしはいつも焼く前に生地を冷蔵庫に入れて休ませます。
冷えてたほうが焼くときにも形が崩れなくて厚焼きしやすい。
だから味見のときの生地は冷えてて、いっそうスクロースの性質が出るはずなんだけれど・・・
誰か答えを教えてください。
納得の答えをくれた方にはくら子謹製パンケーキを差し上げません。
ふと思いついて日記を書いてみる。
そういえばしばらくブログを更新していない。
それどころかここ数日わたしは何もしていない。
仕事で群馬に行ってから体調を崩し、しばらく静養していた。
朝起きてからと寝る前にやるストレッチとヨガを省略して、身体を疲れさせないようにして一日を過ごし(そのあいだ主にやることは読書だ)、手の込んだものはできないけれどきちんと3食摂り、日付が変わる前にベッドに入る。
退屈といえば退屈だが、わたしにはそれが不思議と苦痛ではない。
時間は決まったとおりに一日ぶん進み、その間わたしは起きてまた眠る、その繰り返しだ。
別段変わったことではない。
今までもずっとそうやって過ごしてきた。
ただ、人に会わなかったり外に出なかったりするだけだ。
***
群馬での仕事がわたしにそうさせたのかはわからないが、写真を撮ることをしばらくやめようと決めた。
あるいはこのままずっと撮らないかもしれない。
唐突に今日、トイレに入っているときにそう思った。
いままで"動機の反射行為として"写真を撮ってきたつもりだった。
けれど、わたしがいま見つめるべきは動機の深度だ。
手に乗せてその重さを量り、精度を確かめる。
指の腹で表面をなぞり、そこにあるわずかな凹凸を探る。
行為は・・・ またあとで考えることにする。
後々には写真を撮っていた時期の前後でわたしの歴史を分けることができるようになるかもしれない。
プリンスと元プリンスみたいに。
そう考えてみると、いままで写真を撮ってきたのは訓練というか、導入だったのかもしれないな。
さあ、次のステージにコマを進めよう。
ライフルの次はどの道具を選んだらいいんだろう。
今まで撮った写真を形にしたい。
最初にして最後(かどうかはわからないけれど)の写真集。
あ、前に一冊作ったのがあったっけ。
そして、いま進めてるものや、この先やろうとしていた作品リストの降順を変更する必要がある。
中には写真が絡む作品があり、そうでないものもある。
それとは別に手法に限らず「時期モノ」は早い段階で形にする必要がある。
考えてることなんて日々変わっていく。
鮮度が大切。
その前にパソコンを買い換える必要があるなぁ(;´Д`)
体調も戻ってきてるし、明日は身体を動かそう。
ものすごく取り留めのない内容だけど、日記おわり。
そういえばしばらくブログを更新していない。
それどころかここ数日わたしは何もしていない。
仕事で群馬に行ってから体調を崩し、しばらく静養していた。
朝起きてからと寝る前にやるストレッチとヨガを省略して、身体を疲れさせないようにして一日を過ごし(そのあいだ主にやることは読書だ)、手の込んだものはできないけれどきちんと3食摂り、日付が変わる前にベッドに入る。
退屈といえば退屈だが、わたしにはそれが不思議と苦痛ではない。
時間は決まったとおりに一日ぶん進み、その間わたしは起きてまた眠る、その繰り返しだ。
別段変わったことではない。
今までもずっとそうやって過ごしてきた。
ただ、人に会わなかったり外に出なかったりするだけだ。
***
群馬での仕事がわたしにそうさせたのかはわからないが、写真を撮ることをしばらくやめようと決めた。
あるいはこのままずっと撮らないかもしれない。
唐突に今日、トイレに入っているときにそう思った。
いままで"動機の反射行為として"写真を撮ってきたつもりだった。
けれど、わたしがいま見つめるべきは動機の深度だ。
手に乗せてその重さを量り、精度を確かめる。
指の腹で表面をなぞり、そこにあるわずかな凹凸を探る。
行為は・・・ またあとで考えることにする。
後々には写真を撮っていた時期の前後でわたしの歴史を分けることができるようになるかもしれない。
プリンスと元プリンスみたいに。
そう考えてみると、いままで写真を撮ってきたのは訓練というか、導入だったのかもしれないな。
さあ、次のステージにコマを進めよう。
ライフルの次はどの道具を選んだらいいんだろう。
今まで撮った写真を形にしたい。
最初にして最後(かどうかはわからないけれど)の写真集。
あ、前に一冊作ったのがあったっけ。
そして、いま進めてるものや、この先やろうとしていた作品リストの降順を変更する必要がある。
中には写真が絡む作品があり、そうでないものもある。
それとは別に手法に限らず「時期モノ」は早い段階で形にする必要がある。
考えてることなんて日々変わっていく。
鮮度が大切。
その前にパソコンを買い換える必要があるなぁ(;´Д`)
体調も戻ってきてるし、明日は身体を動かそう。
ものすごく取り留めのない内容だけど、日記おわり。