浮世絵の話し(続)
(前回)
- 自分の『浮世絵』の楽しみ方
- “趣味” になるまでのきっかけ
もうここまででだいぶスッキリしつつあるけど、書きかけのところをもう少しだけ。
別途、と言った「金銭的」な部分について。
- 収集とお金
あえてこの言葉を使うけれど、骨とう品の収集って[高尚]な趣味すぎる。
主に金銭的な理由で。現代の現役世代には、「骨董収集」はなかなか広くは楽しめない趣味だと思う。この世界を覗いて実感したことだった。
いわゆる「アニメ」「漫画」とか「プラモデル」のような趣味って、“知識”は必要ないし基本的に単価が高くないから誰でも楽しめるしいっぱい集められる。(それでも最近グッズ系も単価上がってるが)
一方で浮世絵はじめ骨とう品は知識も必要だし、本当にいいものを集めようとしたらお金が必要だ。
しかも市場には「贋作」ってやつが存在する。高いお金払って偽物って悲しすぎる。
逆に、安いものが超イイモノだったっていうロマンがあるのがこの世界の魅力であるのは凄く理解している。
つまるところ、敷居が高い。
知識も必要でお金がかかるので、「収集家です!」って言うのは現役世代には難しいと思った。
それにそもそも論だが、こちとらただのOLなのでそんなリソースは無い。金も場所も余裕も。
一念発起してイイモノを手に入れたとしても、
その作品に見合う適切に保管、鑑賞できる自負がないので手を出すべきではないという自戒もあるから、どっちにしろ[収集]なんて楽しみ方は全然できない。
自分はせいぜい「愛好家」って名乗れるかどうか。
でも卑屈無しで、そういうのが趣味にできるのは憧れる。お金が欲しいって意味じゃない。
「知識」が敷居の高さに上げたけれど、その心理的なハードルさえ一度超えてしまえば
知識を得ることも楽しめて、知識を得た時に作品を見たら素晴らしいものだと目の映るようになるはずだから、その醍醐味ってこの世界にしかない。
この世界に片足突っ込んだばかりの私にとってはやっぱり「敷居が高い趣味」のままだけれど、
自分の金銭の範囲でも楽しめているし、その範囲で楽しめる現状が残っていて感謝している。
それに「金があればもっと気楽に集めるか」といわれても、“違うな”って思う次元に行き着いたので、今はあまり気にしてない。
この間、店頭で数万した絵を買うか非常に悩み、お店の中で15分程度頭を抱え続けて結局購入は諦めたりしたことがあったけど、
お金がない中で勉強して考えて悩んで買うのも、今できる楽しみ方だなと思っている。
今なら借金してでもイイモノ・ホシイモノがある人の気持ちがよくわかる。
でもリ●払いだけは絶対ナイけど。
- 今の自分から見える浮世絵の世界
(国内)
冒頭で『あえてこの言葉を』と言ったとおり、浮世絵は本来もっと身近な趣味だったのは理解しているつもり。というか教えてもらった。
実際、浮世絵詳しい人に「もともと庶民の楽しむものだったし」「今の人にも気軽に楽しんでほしい」旨のお話しを聞いたことがある。
だからそういう意味では、本来[浮世絵収集]は敷居の低い趣味だったのも本をかじった今ならなんとなく分かる。
現代でそうなっていないのは、世界的に浮世絵の美術的価値が上がったことがイチバン大きいと理解している。
あと、今や浮世絵ってそもそも骨とう品の類だと思っているし。
当時江戸の人達にとって、「浮世絵」は雑誌であり写真であり
また今でいうブロマイドとかトレーディングカードゲームを混ぜたような感覚のものだったんだろうなと個人的に落とし込んでいる。
復刻版はさておき、当時出回った”オリジナル”の画をそのようにはもうできなくて、
どんな作品でもそれ相応の値段が付いている。
当然それだけの価値があるのは理解できてるけど、その価値にそれだけのお金を出せるかどうかは、
現代人にとっては価値観の変化があるからもうできないと思う。
おおざっぱに言えば、値段や成り立ちは関係ない。
時代と価値観の変化があったから、『浮世絵』ってもう特別なものだ。
そういうのを全部理解してるつもりの今、手の届かないことが多くて一般人としては歯がゆいこともある。
でも作品の価値を守るべきだと思うので、価値や値段を下げてほしいなどとは思わない。
気軽に手の届く値段にしすぎると、価値が下がる。転売厨とか投資家とか嫌なやつらの手に今以上に渡りやすくなる。
そうやって作品が損なわれるのは嫌なので、今の価格も妥当で仕方ないって思ってる。
たまーーーーに、どーーーーしても欲しいのと出会った時
特別な思いで買う楽しみ方を私は長く続けていくんだと思う。
(海外)
その買う価値、でもう一つ気になっていること。
美術界隈での「浮世絵ブーム」ってやつがあるらしく、外国人の関心の高まりからお土産などで購入して国外への作品流出があるそう。
確かに、絵なら手荷物検査引っかからないだろうしね。
オークションのニュースもちらほら見る。
最近の日本人がやたら「ゴッホ」とか「モネ」好きなあの感覚なのかなと想像してる。
で、この外国人からの人気について
私はこれがひじょーーーーーに焦燥感に駆られている。
だって外国人と私のような一般人が手を出せる対象範囲って、たぶんめちゃくちゃ被ってるのだ。
完全に私の体感だけれど。「数万~数十万」の私たちが頑張って手を出せる範囲、
それって外国人が「お土産とかで奮発して踏み切れる」範囲と多分同じだ。
しかも有名で人気な作品、日本人と外国人のこの好みってそう変わらないと思う。
日本っぽい風景
人物系はちょっと題材による、外人は分かんないことの方が多いでしょう
そしたら求めたい題材って大方一緒になるはず。
だから私が求めたい方向性と外国人が好むものは、コストもコンセプトも結構被ってる。
つまり競合相手じゃん、と気が付いた日。「円安早く終わってほしい」とこれだけのために軽率に思ってしまった。
そういう問題じゃないけど、自分じゃどうしようもないし気休めしか思いつかなかった。
自分もミーハーな面あるし、海外で日本文化評価されてるのは嬉しい。
しかし外国の人が絵を買ってるのを見た時に、頭の中で過った。
美術品の海外流出。明治にあったらしい問題
戦後も刀とかであった問題。
そういう国家的な問題じゃないだろうし大なり小なりの違いはあるだろうけど、歴史に聞いた問題はこういう感じだったのかな、と自分の眼で初めて飲み込めた気がした。
日本で関心が低いから、昔より集める人いなくて今は国外へ流れていきやすい。
これって数年後、“そこそこの絵”って店頭に並ばなくなるんじゃないか?って大げさに不安に思っている。
そうしたら国内で自分みたいに、勇気を出して買ってみるとか
そういうきっかけを求めてる人が作品と出会える可能性がぐんっと下がってると思ったのだ。
この世界に片足突っ込んでまだ知らないことが多いけれど
それでも目にして耳にする状況は、心の中で細やかな焦りとして今自分の中に潜んでいる。
これが数年後どうなっているのか、自分の眼で実感してみたいと思っている。
●蛇足
初めて店頭に行って色々みた玩具絵、次の年みたらぜんぜん店頭になかったと感じたことがあった。
自分の眼が肥えただけかとも思ったけど、
品揃えは確実に変わっているなと、1年の間でもぼんやりと私程度にも感じ取ったりしている。
自分はたまにしか覗かないから、たまたまかもしれないって思ってるけど。
それに美術品のことは海外から見てもお互い様っていうのは重々承知。
それでいえばアンティーク買ってくる日本人いるだろうし、仕方ないことだって思っている。
ただ買われたその後、日本に帰ってこれるわけじゃないだろうし、
日本の中で触れ合える確率の母数が減るのはちょっと焦るなって思っているという話し。
世界中のお宝が行き来しているから、日本で今博物館や美術館でお目にかかれている名品があることもまた、とっても考えさせられたし今なりに理解をしているのは補足しておきます。
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書くの疲れたしほぼ書きたいこと書いたのでここまで
他の書きたいネタあったけどもうやり切った感で忘れた
おしまい
2024/1/21