7年ぶりの更新と自分にとっての「浮世絵」の話し(前) | ゆきめのブログ

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 約7年ぶりの更新と映画

 

自分のブログ履歴を見たら約7年ぶりの更新となりました。

あの頃、『映画観て感想を書くようにしよう』と取り組みましたが

3本程度で挫けましたね。

映画は記事数よりもう少し見てましたが、ブログ書くのに挫折しました

今も『BttF2』見た感想の下書きがそのまま残っています。笑

 

ここからは自分用の反省と振り返り。

自分語りが大好きで感想言いたい派ですが、文字へのアウトプットがめんどくさくなっちゃうのが続かなかった大きな理由の一つ。

さらに、そもそも映画を見るって行動が自分にとってはライトではない。

理解するためにエネルギー使うから、『観て書く』の行動意識では映画観る活動は長続きしませんでした。

意識しちゃうとダメですね。

(以前、『エデンの東』見た時は余韻でお腹胸いっぱいすぎて、しばらく他の映画観る気になれませんでした。笑)

 

加えて、パソコンを使わなくなった物理的理由も大きい。

スマホない時代はパソコンが日常の一部でしたが、あの頃には日常の一部からパソコンがすっかり無くなりました。

パソコン取り出す、というのが物理的にもめんどくさくなっちゃった。

今も埃かぶったパソコン取り出して書いているわけですから。

 

 

そういうわけで書かなくなり、今回は別の趣味(後述)のために思い至りパソコン取り出し訳ですが、

昔の自分のブログを見たら、誤字やら拙い感想が目に付くは付くは……。

今見たら未熟さやテンションが恥ずかしいかぎりなんですが

あの時の自分にしか書けないものでしたし、そのままにしておこうと思いました。

 

日記とかペンで書くのはもっとめんどくて苦手なので

パソコンで書くわけですが

そうやって振り返れるのも

アメーバブログが残ってくれてるおかげですね。感謝。

 

 

 

 

 浮世絵の話し

 

久しぶりにアメーバブログ開いたら、かわいいし分かりやすい見出しがワンクリックで作れるようになっていた。

すごい。ありがたい。

文章力無い人間には、こういう分かりやすい見出しで構成ができると、それっぽくなるので大変ありがたい機能です。笑

 

本題の【浮世絵】について

自分の思うところの整理や記録のために書こうと思い

オリンピック約2回分ぶりにブログを書く決心がつきました。

去年から書きたいなーと思っていたけど、おっくうで。でも新年という節目だし、去年からやろうかとくすぶってたのでやっと手を付けた。

また3回、いや一度書いたら飽きるかも。

でも整理のためだし、続けるとか考えず書くことにしました。

 

 

  • 自分の『浮世絵』の楽しみ方

もっぱら見る専 

描くとか彫るとかはムリ。そういう楽しみ方のセンスはもっていなかった。

美術館や博物館などで観て楽しませてもらっている。

時折クッズ買ったり、“版画” も数枚持っていたりもするけど

【収集】が趣味とはとても言えない。この辺りの金銭的な話しはまた別途。

 

後は、本とか数冊(マジで5冊程度)読んで少し勉強(と言わせてもらう)するくらい。

それが楽しくなってきたところ。

頻繁に所蔵館へ行くわけでもないから、気が向いた時に楽しんでいる。

他にアニメ趣味もあるので。

 

なので素人で駆け出し一般人の話しにすぎないのは今後ご留意ください。

でも間違っちゃったりしてるのは不安だし、違ってたら恥ずかしいけど、

自分の知識が増えて“理解” ができていくのが楽しい瞬間がある。

 

どんな趣味でも言えることだと思うけれど、

今のところ私にはこの趣味がとても楽しめている。

 

 

ただここでミソなのは、人から教えられたりせず、自分のペースで一人で考えて調べていけるのが楽しいってところ。

人によってはなんとなく伝わると思うのだけど、

身近な人に先駆者がいるとあまり興味が深まらない時がある。

 

身近な人から教えられたり、人が好きなものって

なんていうか「その人が好きなモノ」という意識から始まるし、なかなか【自分ごと化】できないのだ。

しかも好きになった時、身近なその人に自分並みの熱意や知識があると、

自分の“好き” とぶつかって、意図せずとも“好き”の度合いが対立してしまう。

それって「楽しくない」ってことを、頭より先に肌で感じて忌避してしまうあの感じ。

 

少なくとも自分は子供の頃からそういう時があった。

今は良くも悪くも、同じ趣味の人は身近にはいない。

つまるところ、今は周りに同じ趣味の身近な人がいないのでマイペースに楽しんでいる。

(でも同じ趣味の人と話したくないとか、そういう事ではない!)

 

 

  • “趣味” になるまでのきっかけ

[浮世絵 版画]に興味を持ったきっかけ

もちろん、「周りに同じ趣味の人がいない」なんて打算ではない。

それなら「ロボット」「船」「車」「飛行機」とか現代でも身近なそっちにいっている。

 

元々古いものとか、”歴史あるもの” が好きだった。

子供のころから社会や歴史の点数だけある程度いい点とれてたタイプ

小学生の頃に教科書で見た「雪舟」の画にすごく魅入られて、なんとなく大好きになってずっと覚えていた。

美術は「3」とかだったけど。

それに「水戸黄門」のような殺陣がある時代劇とか、テレ東の鑑定番組も昔から好きだった。

水戸黄門なんかは、ずっと昔に早死にしたじいちゃんの膝の上で見た思い出補正強めだけど。

ただ自分にはそういう基盤はあった。

 

でもそれだけじゃ「趣味」にまでは行きつかない。

ていうか浮世絵が、個人の “趣味” になるものって全然知らなかった。そういうものじゃないと思ってた。

 

 

それが本を読んだりするまでになったのは、東京国立博物館の1Fで見た「浮世絵」たちだった。

記憶は朧気だったけど、歌川派がいくつかあって

自信ないけど一つだけ覚えてるのは

「歌川広重」の「江戸名所百景 亀戸梅屋敷」のやつが飾られていたと思う。

 

その時、産まれて初めて肉眼で見た「浮世絵」に、すごく感動した。

 

それまで絵に興味なかったし、絵は分からなかったし、

「博物館」は好きでも「美術館」への興味はイマイチだった。

歴史あるものが好きとはいえ「何がどう凄いか」とかまでは“知識や理解”はなかった。

ただ歴史を感じることはできて、それだけでも楽しかった。

 

だけど「浮世絵」を見た時に初めて、

絵の色合いや線の細さとか、それが作り出す世界観・雰囲気、繊細さや技巧、

そういうのを肌で感じることができて、「絵」というものにたぶん初めて感動したと思う。

「すごい」「浮世絵ってこんなに綺麗だったの?」ってそんなことを思った。

 

それが後々、趣味にまでなるきっかけだった。

 

あの時に直感的に「すごい」って思った、それが全てだったと思う

理屈とか理由は後付け。

今は本を読んだりしてはいるけど、趣味って感性や直感ありきだと今でも思う。

「感動」って理屈じゃないし。感動を裏付けるのが理屈や理由。

 

「感動」って

知識や理屈があるからこそする感動と、

そういうのなくても直感的に感動させてくれる二つがあると思うので

どっちがいいとか、どういう出会いが先かは人それぞれだと思う。

 

そして無知の人を惹きつけるのは、直感的感動だと思う。

そういう体験が人を趣味の世界へ引き込むし、

無知の人にもそういう体験を人に与えるのが「魅力的」な作品なのかな、と今は思っている。

(もちろん、“考え方の内の一つ” として)

 

私の場合、無知の私を引き込んで

理屈や理解が欲しいとか刺激をしてくれたのは「生」で見た浮世絵たちだった。

この体験が後々、今の「趣味」へと繋がっていくきっかけになった。

 

 

そんな自分の今の推し絵師は【歌川(安藤)広重】氏

最初のきっかけは今じゃ朧気だけれど、あの頃から自分の感性ってやつは多分変わっていないのかもしれないと思っている。

 

逆に勉強していったら、この絵師は自分の感性(趣味)じゃないなってことも分かるようになってきた。

好きじゃないとかではなくて、美的センスや美的感性が自分と違うな、って感じること。

 

初心というかフラットな純粋さを失くしてしまったのは我ながら惜しいけれど、

でも今のこれはこれで一つの楽しみ方に行き着いたんだな、と思っている。

それに他絵師勉強するほど、「やっぱ自分(の推し)は広重先生だな…」って思えたりするし

絵師を通しで自分の感性を確認できるのもまた一興だと思っている。

この辺の詳しい話しは書く気力会った時にでも。

 

 

※自分は歌川広重を内心「先生」付けで呼んでいるので、ブログ上はそう呼称する場合あります。

 基本絵師ってフルネーム呼びされますが、心の中で推し絵師は呼び捨てられんなって思い、

 “漫画家先生” からひねって「先生」って呼んでいる。自分の中で語る時のみ。

 

 

 

●余談

この出会いをしたのは“就活”ってやつをしていた頃の事だった。

正直、自分はそういうのが全然ダメな性質で、まったく上手くいってなかった。あわやニートだった。

自己肯定感低いから傷つきやすいし、“人に評価されにいく” っていうシステムがダメだったから。

 

おかげ様で予想通り、一度就活で完全に鬱になって挫けたのだけど。

その挫ける前のニートは嫌だし足掻いてた頃、

「わざわざ都心にまできて、タダで帰るのはイヤだ」

と思って、ついでにどこか寄って帰ろうって思ったのがトーハクへ行くきっかけだった。

 

なので、よく覚えてないけどスーツで行ってたと思う。

江戸東京博物館はスーツで行ったのを明確に覚えてる。

 

 

その後、なんとか足掻きなおして12月というクソギリに定職に在りつけた。

クソ安月給だったけど定職だったからよかった。

そういう縁が繋がってしばらくした時、新しいものを吸収したいと思い読んだのが「浮世絵とパトロン」だった。

 

あの時の記事を読み返したけど、今の自分が見ても難しそうな本を頑張って読んだなと思った。

ただあの本を頑張って読んだから、後々に自分がここまでくる要素にできたんだと思う。

 

そして数年後、本屋で勧めてもらい買った広重先生の本、

後で確認したら同じ「安藤先生」が筆者だった。

絶対、当時の自分と今の自分は本を読む順番逆だったなと思った。

 

だけどあの頃苦心して読んだ本がまた今に繋がっていると気が付いた時、なんとなく嬉しくなった。

 

 

 

 

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もっと書きたいことあるけど、2時間半程度かかっているので疲れたからここまで。

雨の日をこういう使い方をできてよかった。

 

 

 

2024/1/21