両胸全摘手術から15日が経過。
ブレストサージャリーのコンサルタント(執刀してくれた先生)から電話がありました。
乳がんになりやすい遺伝子があるかどうかの検査の結果は、ネガティブだったそうです。
まあ母は70代で卵巣がんになって子宮や卵巣をごっそり切除しましたが、おっぱいはまだ無事に付いてますし、姉も2人子供を産んで、立派にお役目を果たしたちっぱいさんをまだ元気にくっつけてますし。
なので結果は薄々分かっていましたが...
うちの子たちに私から何か悪いものが遺伝してしまう可能性もないので、この結果は姪っ子達や従妹達のために良かったねー、ってことで。めでたしめでたし。
でも他の科の先生方も、乳がんになった原因は30年前に受けた放射線治療の影響だろうという見解のようです。
もしあの時、抗がん剤までで治療を終えて、放射線治療を受けていなければ、私は乳がんになっていないかもしれないし、でもその代わりに悪性リンパ腫が再発していたかもしれません。
あの選択が必要なものだったか、余計なものだったかなんて誰にも分かりませんが、この延長してもらえた30年間で私はそれまで想像もつかなかったような素晴らしい出会いや経験をさせてもらえたし、その間の強運たるや恐ろしい程なので、私の人生に必要なコースを、来るべくして来たんだろうと思ってます。
だってあの病気と治療を通って来なければ、今、一番かけがえのない存在である私の家族=ちゅみちゅみとくぷくぷとちたちたに出会うことは絶対になかったんですから。
そして、今また病気になって、自分がどれだけ大勢の人達に愛されて、応援してもらえてるかを実感できている。
なので、私は自分のことを不運だと思ったことがないですし、またこの少しの試練というか苦しみを乗り越えた後に、何が待っているのか楽しみなんです。
やっぱりヘンタイなのかな...
今日は同僚のRがお見舞いに来てくれました。
あの「お大事に」カードをくれた、Bちゃんのママです♪
Rとはもう10年以上同じ課で働いてますが、サバサバ、キッパリした性格で、上司にもいいにくい意見をズバッと言ってしまって、ハラハラさせられるけど私は彼女が大好き。
彼女も私がPhDを始めたのと同時期に、全く今の仕事とは関係のない分野のMScを始め、もうあと1年でDissertationを書き上げたら修了というところまで来ています。
勤勉で意識が高いし、仕事関連やリサーチ関連のトピックに関するアンテナを常に張っていて、職場の噂話まで自然と全て彼女に集まって来て、話も面白くて尊敬する同僚です。
Rは前の館長と全くソリが合わず、いつも真っ向からぶつかっていて、そのうち辞めてしまうんじゃないかとすごくハラハラしたのですが、最近その館長の方が突然辞職してしまったんです!
4月に就任された新任の女性館長は業界にも精通しているし現場での経験も十分あって期待が持てそう、などと、色々な職場の噂話を持って来てくれました。
ランチはDeliverooでオーダーして、2人でまったりと、気付けば4時間半もおしゃべりに花を咲かせてました。
おしゃべりに夢中で、胸の皮膚のヒリヒリもすっかり忘れさせてくれました。
あー、楽しかった♪
「もう大学院の講義は全部済んで、あとはDissertationを書き上げるだけだからまた来るね!」と、愛車のテスラで颯爽と去って行きました。