2024年9月21日から23日にかけて東京・高円寺の座・高円寺で「日韓琉 鎮魂祭り」というイベントが開催された。そこで能が演じられたので観てきた。
22日土曜日の脳は『望恨歌(マンハンガ)』。
第二次世界大戦中、朝鮮半島から連行され強制的に鉱山や工場で働かされた朝鮮人徴用工を話だ。
この能、観るのは今回で3回目だ。
参列者が白い麻の服をまとった朝鮮式の葬列で能は始まる。
あばら家に見立てた作り物が舞台に据えられ、そこを日本の僧が訪ねる。僧は九州の炭鉱で一命を落とした青年が妻に宛てた手紙を携えているのだが、青年が手紙をしたためてからそれが見つかるまで時が経ち、妻は老婆となっている。
最初は受け取りを拒む妻だが若い夫の手紙を読んで涙する。
最後は老婆が舞うのだが、一瞬老婆が夫と別れたときの年齢に戻ったように見えた。
老婆は夫の魂と再会した!
こういう瞬間があるから観能はやめられない。
翌6月23日は沖縄慰霊の日。そしてこの日の能は『沖縄残月記』。この曲は大和の古語とウチナーグチの「二か国語」で演じられた。
父と幼い息子がおんばを訪れる。
幼子がおんばの口寄せで亡くなった曾祖母の話を聞くのだが、その話が1945年の沖縄戦の話だ。
おんばが灰色の羽織を脱ぎ、白い着物姿になると、そこは戦場だ。おんばがもんぺに白シャツ姿の若かりしときの曾祖母に、幼子は彼の知らない大伯父になる。
最低限の舞台装置で演じられる能ではこうやって場面が換わる。
軍隊によりガマ(洞窟)から追い出された女。彼女は幼い息子の手を引くとともに赤子を抱いている。
その幼子が息絶える。これはそれまで彼が持っていた風車を落とす動作で象徴される。赤子も失い、一人になった女。
女が紅型をまとうことで時間は現在に戻る。大おんばが羽織る紅型、花に見えたものをよくみると地上に降下する兵士の落下傘(パラシュート)だった。兵士が搭乗していた飛行機も紅型には描かれている!
この舞台、通常の能では地謡(ぢうたい)が座っているところに沖縄の武士の装束をまとった蛇皮線弾きが座っている。蛇皮線と鼓の音に合わせておんばが舞い、静かに舞台は終わる。
このイベント、いずれもシテ(主役)は清水寛二。彼は2021年にもこの場所でシテを務めた。この時の演目はパレスチナ問題を題材にした『ヤコブの井戸』。
『望恨歌』、『沖縄残月記』も、原作は多田富雄。多田は著名な免疫学者であり、マルチ人間である。
私は大学、大学院と理系で学んだが、周囲は人文科学方面には関心がない、という人が多かった。あの頃は学生運動のことを強烈に覚えている先生も多く、学生が社会問題に関心を持つこと自体に否定的な先生もいた。それに研究予算を獲得する上で、社会に関し自分の考えを持つことは不利になる、という考えの人もいただろう。
そういうことに思いもめぐらすと、多田先生はすごい、とおもう。