NHK党の掲示板ジャック | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 現在都知事選が行なわれている。56名が立候補しているが、メディアの選挙報道で取り上げられるのは「有力候補」ではなく24人の候補者を出したNHKから国民を守る党(NHK党)だ。
 1人だけを選出する都知事選で24人も候補者を出して、何をする気なのかと思ったら、彼ら、というより代表の立花孝志氏は党へカンパをした人にポスター掲示板に自由にポスターを張らせる、と言い出した。
 都内に約11,000か所のポスター掲示場所があるが、党にカンパする人はどこの掲示場所でポスターを張るか決めてカンパをする。
 立花氏は選挙後没収されるであろう供託金をこのカンパで回収する気のようだ。
 
 メディアは、ポスター掲示板のそういったスペースに、女性の全裸写真が張られた、と報道しているが、NHK党スペースに張られたポスターはそういうものばかりではない。
 
 下の写真は新宿区内のポスター掲示場だ。
 掲示板下側のNHK党スペースに張られているのはメディアが取り上げるお色気モノではなく、怖い印象を与えるものだ。青い色調の中で、左上に印刷された日の丸が強く印象に残る。
 

 

 Facebookで、このポスターを問題視して取り上げている人がいたので気になって見に行った。このポスターのスローガンは

「すべての拉致被害者をすぐに返せ!」

というものだった。拉致被害者とは1970,80年代に朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)当局により拉致された人々だ。このスローガン自体はもっともなものだ。しかし、このポスターを用意した人は全く的外れな場所を掲示場所に指定したのだ。

 

 この場所は東京韓国学校のすぐ近くの場所だ。

 東京韓国学校は在日韓国人やニューカマーの韓国人の子供たちが通う小中高一貫の学校だ。日本の学校教育法での位置付けは各種学校で、大韓民国の法律に準拠しているという。

 この学校は同じ朝鮮半島でも、南側の政権を支持する人たちが運営する学校なのだ。

 

 朝鮮当局による拉致がメディアで報道されるようになってから、朝鮮学校の子供達が相次いで心無い言葉を浴びせられたり、朝鮮学校が高校無償化の対象から外されたり、ということが起きた。こういう朝鮮当局と子供たちとを一緒くたにした行為に対しては毎度まいど反吐が出るが、今回あのようなポスターを張り出した人たちは南でも北でもみんな一括りにして、半島にルーツのある人たちを意図的に差別しようとしている人たちだ。

 

 私は土曜の午後、このポスター掲示場に行った。地下鉄大江戸線若松河田駅を降りて東京女子医大と東京韓国学校の前を通って行った。途中、親に迎えに来てもらって下校する子供たちと多数すれ違った。おそらく多くの子供たちはこのポスターを眼にすることなく登下校しているのだろうが、それにしても嫌なものだ。

 

 朝鮮当局による拉致は解決されなければならない。だが、日本の政治家たちは被害者やその家族のために何をしたのか?ただやっています、というポーズだけではないのか?

 

 こんなことがあった。

 森喜朗氏が首相だった時だ。当時日本政府と朝鮮政府との間で、数名の拉致被害者を第三国経由で帰す、という交渉が秘密裏に行われていたようだ。そうすれば拉致を指示したであろう朝鮮労働党の責任はうやむやにされるかもしれないが、とにかく被害者は帰ってくる。

 しかし、森氏がそれをポロっとメディアに対してばらしたせいで、その被害者が帰国する機会は奪われた。

 それでも森氏を非難する声は強くは上がらなかった。

 

 現職都知事の小池百合子氏も拉致問題に関して問題のある言動をした。

 下の写真は蓮池透氏のツイッター投稿のスクリーンショットである。蓮池氏のフェイスブック投稿から転載した。

 蓮池氏は拉致被害者である蓮池薫氏の兄である。その彼が遭遇した出来事だ。

 2002年9月17日、この日は小泉純一郎首相(当時)が朝鮮を訪れて金正日総書記(当時)と会談した日だが、会談で拉致被害者の数名の生否を朝鮮労働党は明らかにした。薫氏は生存していて、後に帰国したが、14歳で拉致された横田めぐみさんは亡くなっている、というのが朝鮮労働党の回答だった。

いの

 被害者の生否が発表された後の家族会の記者会見に、当時保守党の衆議院議員だった小池氏も出席し、横田さんの両親の言葉に涙を流すところがテレビに映ったようだが、問題はそのあとだ。

 記者会見が終わり、家族会の人たちが会場に残って話し合いをしているところに、小池氏が忘れたハンドバックを取りに戻り、

「私のバック、拉致されたかと思った。」

と言ったという。