古典はいとをかし | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 紫式部を主人公にした大河ドラマ『光る君へ』を観ている。紫式部は『源氏物語』の作者だが、ドラマで彼女があの長編小説を書くのはまだ先。実像がよくわかっていない人物なので、このドラマではかなりフィクションも入っているが、そのなかでも彼女と清少納言の付き合いはドラマと割り切れば結構面白い。

 

 清少納言は随筆『枕草子』の作者だ。彼女は一条天皇の中宮・定子の女房として宮中に勤めていたが、その宮中での出来事をつづったのがこの作品だ。

 先週(2024年5月26日)放映分までの展開は、兄・藤原伊周と弟・隆家が花山上皇に弓を引いたことで連座させられた定子が自らの意志で出家し、その定子のために何ができるか、と清少納言が思いを巡らす、というもの。清少納言に対し紫式部は

「定子さまが元気になられるものを書かれては…。」

と提案する。

 

 回想場面で定子と女房達のサロンの場面が出てくる。大量の上質紙を一条天皇から与えられた定子が

「帝はこの紙で『史記』を書写されましたが、私達は何を書きましょうか。」

というと清少納言が

「枕を書くのはいかがでしょうか。」

と答える。

 

 紫式部の言葉で楽しい日々を思い出した彼女は定子への思いを筆に込めて随筆を書き始める。出家後、床に臥せっていた定子が清少納言の書いたものを読み始める。

「春はあけぼの…」

という言葉が定子の心に響き、彼女の眼に生気が戻る…。

 

 高校2年の時、古文の授業で『枕草子』を読んだことを思い出す。「春はあけぼの…」の段も「枕にこそは侍らめ」の段も読んだ。毎回授業終わりに先生がその日読んだ文の現代語訳を読み上げるのだが、『枕草子』を読むときは

「中宮定子(ていし)さまが…」

といった声を今も思い出す。

 

 そういえば、

「『春はあけぼの』なんてどうでもいい文章がなぜ今も残っているんですか?」

と先生に質問した同級生がいた。

 その彼は今、和箪笥職人をしている。

 

 近頃は学校で古典を教えるのはやめた方がいい、という声がよく聞かれるようになった。古典が、というより学校では生活の役に立たないことを教えるな、ということだ。学校の勉強にいい思い出のない人が言うならともかく、いわゆるエリートでも文学や歴史の知識は要らない、という者がいる。

 

 だが、昔の人が何を思っていたのか、そんなことに思いを巡らす時間があってもいいではないか。学校で古典に触れなければいつ古典に触れられるというのか。あなたにとって日本とは何ですか、と聞かれて、ひところ工業先進国だった日本しか思い浮かばない、というのはさみしいではないか。

 

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 先日書店で『枕草子』現代語訳を見つけたので買った。光文社では古典新薬文庫シリーズで数多く外国文学の翻訳を出しており私もこれまでその何点かを読んできたが、日本の古典も出していたとは驚いた。今私は『源氏物語』の現代語訳を読んでいるが、いずれ同時代のこの作品も読まねば。