博覧会 | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 1970年、大阪で万国博覧会が開催された時、私は1歳だった。当時私は東京にいたのだが、親に連れられて万博へ行った。当然覚えていないのだが、小学校高学年になって本を通じて万博のことを知ると、当時自分が1歳で万博のことは何も覚えていないことが悔しい、と思った。

 ところで、当時の『サザエさん』では万博開催時の関西の人びとは万博見物のために遠方から来た親戚を泊めて大変な思いをした、というネタをやっていたが、私たち家族もまた当時神戸にいた親戚の家に泊めてもらった。

 最近ようやく知ったのだが、その時は私たち家族だけでなく、母方の祖母も万博へ行った。私にとっての神戸の伯父やいとこは祖母からみれば長男であり孫である。祖母が遠方の長男一家を訪ね、私たち家族はお供、というのがこの旅だった。

 

 1970年の万博のことを覚えていなくて悔しい、と思っていたら1981年に神戸で神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)開催された。このイベントが万博の範疇に入るのかよくわからないながら、行きたいと思ったら5月のゴールデンウイークに神戸へ行く、と父が言った。やはり祖母のお供である。

 この時は祖母は伯父宅でのんびり過ごし、「若い者」だけで博覧会を観に行った。私たち家族の他に、従弟も一緒だった。私は小学校6年、妹は4年、そして従弟は2年。一番小さいものにあわせて行動する博覧会見物は当時の私にとっては不満でたまらなかった。

 それでもって夏休みに今度は一人でポートピアを観に行った。親もよく行かせてくれたし、伯父伯母もよく泊めてくれた、と今になって思う。

 その時の私は、最前線の科学技術を紹介するパビリオンをできるだけ観たいと思った。それで、開場と同時に会場に入って、気になるパビリオンを次々と観た。あの時、民間企業がつくったパビリオンはどこも混んでいて。行列ができているところもあった。40分並んで入ったパビリオンもあるが、長蛇の列ができているあのパビリオンにはいかなかった。

 そのパビリオンとはダイエー館。当時全国各地で大型スーパーマーケットを営業していた小売りの超大手が出したパビリオンで、館内では世界各地の風景を大画面で観せる、というのが話題になった。10数分の映像を観るため一日中並ぶ、という話を聞いて、そこは観なかった。

 

 

 ダイエーといえばその後のバブル経済期にプロ野球チームを買収しその本拠地球場を核に福岡でリゾート開発をしているところでバブルがはじけ不景気となって凋落したが、あのころそれを誰が予想できただろうか。

 

 あれだけ熱心にパビリオンをめぐりながらも、今になって印象に残っているパビリオンはない。あの時は伯父宅に5日間滞在させてもらって、神戸や大阪の名所も歩き回ったが、新幹線新神戸駅の北側にある布引の滝がすごいなと思ったのと、大阪の万博記念公園へ行って太陽の塔前の芝生に座って伯母がつくってくれた弁当を食べたことが思い出になっている。

 

 1985年には茨城県の筑波研究学園都市で国際科学技術博覧会が開催された。今度の会場は家から日帰りで行ける場所だ。当時私は16歳。科学者を目指して数学だけは熱心に勉強する高校1年生だったが、あの頃から私はメディアがもてはやすイベントには白けるようになっていて、科学万博にも関心はなかった。しかし、父が一緒に行こうというので、夏休みの終わりごろ一番電車に乗って父と一緒に筑波へ行った。

 印象に残ったパビリオンはない。印象に残っているのは帰りに乗った列車だ。あの時国鉄は上野駅と常磐線の土浦駅との間にエキスポライナーという臨時快速列車を走らせて万博の見物客を輸送したのだが、この列車にはこの区間を走らせることができるあらゆる車両が充当された。

 私たちが乗ったエキスポライナーは交直流電気機関車が12系客車を牽く、というものだった。この12系客車というのは1970年の大阪万博のときにその見物客輸送のための臨時列車に使用するため製造されたものだが、国鉄分割民営化を翌々年に控えたこの時期には活躍の場が狭まっており、分割民営化後は客車列車自体も減っていった。12系客車のエキスポライナーに乗ることは鉄道ファンとして幸運だった。

 

 さて、来年2025年にはまた大阪で万博開催が計画されている。人工島の完成披露のイベントとしてはポートピア’81と似ているが、娯楽産業のあり方が大きく変わったいま、どれだけの人が関心を持っているのか?

 今年元日には能登で大地震が起き、いまだに避難所暮らしをしている人が多いというのに、震災地復興へ向かうべき人も資材も半年のイベントのために費やされるというのはどういうことなのか?ただただ維新の会が意地になってやろうとしているこのイベントには白けどころか怒りを覚える。

 

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 夢洲万博のポスターは東京の鉄道駅でも目に付く所に張り出されている。下の写真はそのポスターを写真に撮って改変を加えたものだ。