それでも私は日本が好きだ | Kura-Kura Pagong

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"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 先日、胡桃沢伸という人の講演が2024年1月28日に東京都三鷹市内で行湧得たので聴いてきた。

 胡桃沢は精神科医であり、「くるみざわしん」名義で劇作家としても活動している。彼は長野県豊丘村の出身で、彼の祖父・胡桃沢盛(もり)は第二次世界大戦中、豊丘村の前身の一つ・河野村の村長をしていた。

 盛は敗戦の翌年自宅で自死しているのだが、胡桃沢は成人してから祖父の自死の理由を知ることとなる。

 

 

 

 1932年、中国東北部に「満州国」が成立した。国とは言っても、大日本帝国政府が大陸で侵略行為を進めるためにつくった傀儡(かいらい)国家で国際的に認められていなかった。 

 日本政府はこの「満州」への移民政策を推し進める。移民政策の目的の一つは、昭和大恐慌で生活できなくなった人たちに生活手段を与えること。もう一つは移民に「満州」をソ連軍から守らせること。

 胡桃沢の祖父・盛は村からまとまった数の人たちが移民する分村移民に協力した。

 1945年8月8日、敗色が濃くなった日本に対してソ連が宣戦布告を行ないソ連軍が「満州」に攻め込んだ。この時河野村から移民した73名の人たちが一命を失った。これを集団自決と呼ぶ人もいるが、彼らは自ら死を選んだのではなく死に追いやられたのだ。

 村長の盛は8月15日の日本の敗戦後、「満州」へ入植した村民のことを案じていたが、全員が「自決」したと知り、そのことで自分を責めて翌年に自宅で首を吊って自死した。

 

 胡桃沢は自分の祖父について批判するべき点を二つあげている。

 まず一つは、生きて責任を取らなかったこと。

 もう一つは、彼の罪の意識が自分の村の人だけに向けられ、中国の人たちには向けられなかったこと。

 彼の祖父が村の人たちを送り出した場所はもともとは中国人が農業を営んでいた場所だ。日本政府が降伏した時、日本人入植のため住んでいた場所を追い出された中国人たちの暴力が入植している日本人に向けられた。村の人たちが自決、いや、死に追いやられたのはそれが原因なのだが、盛はそのことを理解せず自死した。

 胡桃沢は自分の祖父を理解しようと彼の日記を読んでいるのだが、昭和19年、20年の元旦の日記には

「大東亜共栄圏の理想は今年実現するだろう。」

ということが書かれているという。そのことを胡桃沢は批判的に受け止めている。

 

 そういえば、私の母方の祖父は「満州国」の官僚だった。おそらく私の祖父は栗見沢の祖父よりも中国侵略に対して責任のある立場だったのではないか。

 私が大学に進学してから、日本によるアジア侵略の歴史に興味を持ち、帰省した時そのことを家で話題にすると母は

「私のお父さんは戦争に負けたとき警察に捕まったけどその日のうちに釈放されたのよ。」

と話した。現在の中国吉林省であの日を迎えた祖父は地元の警察に逮捕され署に連行されたのだが、署長が祖父を恩人と思ってくれていて、釈放してくれたのだという。釈放されていなければ死刑になっていた、と母は聞かされている。

 

 母たち家族は敗戦の翌年故国日本の土を踏んだのだが、祖父が釈放されてよかった、と孫の私は思う。

 

 しかし、それと国家としての日本がしてきたこととは分けて私は考える。かつて日本が植民地支配し、軍をすすめた場所には確かに人間がいて、彼らにも彼らの人生があった。それを踏みにじったことは記憶にとどめなければならない。

 おそらく私の酒好きの気質は母方の祖父から受け継いだ。私の大学生時代の綽名は「オヤジ」だったが、祖父の学生時代に綽名が「オジサン」だったと聞くと親近感がわく。

 だからこそた私は祖父の戦争責任を事実として受け入れたい。

 

 

 講演会の質疑応答では群馬県立公園群馬の森に建てられた朝鮮人労働者追悼碑撤去のことも話題に上った。

 第二次世界大戦中、戦争のためのインフラ整備や鉱石採掘のため朝鮮半島から動員されてきた人は数多い。群馬の森の追悼碑も群馬県内で強制労働に従事して事故や病気のため亡くなった朝鮮人のことを追悼し、記憶に遺すために群馬県議会での議決を経て建てられた。ところが「そよ風」などの右翼団体がこの追悼碑を「反日的だ」と主張してロビー活動を行ない、群馬県庁が撤去を決めた。講演会の翌日から撤去作業が始まり、現在その場所は更地となっている。

 下にシェアする写真は講談師・神田香織のフェイスブックでの投稿から拾ってきたものだが、このボードをつくった人の思い、その写真をネットに投稿した神田の思いと私の思いは一緒だ。

 なぜまた過去の歴史から目を背けるのか?

 

「過去の戦争で日本が悪いことをした、と子供に教えたら教わった子供は日本を愛せなくなる。

などという人がいるがそんなことはない。

 私は日本が好きだ。国家としての日本ではなく、日本の文化や自然、家族や友人とともに暮らす場としての日本が好きだ。

 

  

 だからこそ、この国が過去に起こした過ちは認めて、かつて日本が被害を及ぼした国の人びとと信頼関係をつくりたい。

 これこそが本当の愛国心ではないか。