幻の光 | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 『幻の光』という映画がある。宮本輝の原作を監督・是枝裕和が1995年に映画化したものだ。ふとこの映画を思い出して、この映画が能登を舞台にしたものであることも思い出した。
 
 映画は都会の小さな居酒屋で夫婦連れが食事しているところから始まる。夫が何か用を思い出して店を出ていくのだが、それから間もなくして夫は電車に轢かれて死ぬ。夫は線路上を歩いていた、と電車の運転士は証言し、夫は自殺したとされる。
 女は夫が自殺する兆候を感じていなかった。女は夫の死を受け入れられない。
 
 それからしばらく時が経つ。女がローカル駅に降り立つ。ローカル駅は現在は廃止されているのと鉄道輪島駅だ。幼い子供を連れた男が女を迎える。女は再婚した。そして再婚相手の連れ子とはここで初対面となった。
 
 また少し時が経つ。家族との関係は良好だ。新しい夫との夫婦二人の時間も楽しんでいる。だが、女はまだ前夫の死を受け入れられない。あるとき女はそのことを今の夫に打ち明ける。そうすると今の夫は、漁師である自分の父親が体験した、という話をする。タイトルの幻の光はその義父の話から採られたものだ。
 今の夫の話を聞いて女が前夫の死を受け入れるかどうかはわからない。だが、この話はこういう過程を経て人は大切な誰かの死を受け入れるのだろうな、という話だ。
 
 2024年1月1日、故郷に帰ってきた人を受け入れている能登に地震が起きた。死者は200名を超え、1月13日現在も幾重不明者の捜索は続く。避難所の人びとの健康も心配だ。
 そんなニュースに触れて、能登を舞台にした映画を思い出した。
 
 


 
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  この映画を監督した是枝裕和は私と同じ都立武蔵高校(いわゆる御三家の武蔵高校とは別の学校。あちらは私立男子校)の出身だ。20代当時、私はこの学校で国語を教わった先生と年賀状を交換していたのだが、その先生の年賀状で、この映画と是枝裕和という先輩のことを知ったのだ。
 
 是枝先輩のことを教えてくれた先生は遠藤誠司という人で、多くの生徒はこの人の授業のことを「つまらない。」、「受験の役に立たない。」と言っていたのだが、私はこの人の現代国語の授業が楽しみだった。私はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を5回読んでいるが、それもこの先生に影響を受けて、というかだまされてのことである。
 
 下にシェアするのは是枝裕和が自分の勤務する早稲田大学の入学式で語った祝辞だが、その半ばで遠藤先生のことを彼は語っている。
 
 私の出た高校は世間では「いい高校」だが、「受験の役に立つこと」だけを教える学校でもなかった。入学した高校が「役に立つこと」だけを教える学校だったら私はつぶれていただろうし、是枝先輩ももしかしたらあの学校だから卒業できたのかもしれない。