阿房列車エチンゲ号は北を目指す(中) | Kura-Kura Pagong

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"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 

 

(『阿房列車エチンゲ号は北を目指す(上)』より続く)

 

 

 森駅で特急に乗り、噴火湾の車窓を眺めた私は長万部駅に降りた。駅前にあるのは1個の岩である。1987年にこの駅で途中下車した時にはこの岩の前に「さざれ石」という札が立っていた。日本の国歌ということになっている『君が代』に「さざれ石の巌となりて」というくだりがある。細かい石が大きな岩になる、という意味だが実際に地下水に溶けている石灰成分で細かい石同士が接着されて岩になるという現象がある。学術的にはそういう岩を石灰質角礫岩と呼ぶのだが、その岩が長万部駅前にある。まあ、こうやって岩ができるには人の寿命はもちろん国の歴史よりもはるかに長い時間がかかるのだが。

 長万部駅近くの食堂で名物かにめしを食べて駅に戻ると

「13時29分発長万部行列車の入線時刻は13時10分頃を予定しております。」

というアナウンスが入る。鉄道ファン向けのアナウンスだ。そうだ、私はこれに乗るためにここまで来たのだ。

 2016年に北海道新幹線が新函館北斗駅まで開業し、今度は2030年度札幌開業を目指して新幹線の建設工事が進んでいる。1987年の国鉄分割民営化以降に開業した新幹線の並行在来線は第3セクターに移管されたり、信越本線の横川―軽井沢間に至っては鉄道自体が廃止になったりしている。

 そして北海道新幹線が札幌まで開業するときにも並行在来線のうち函館本線の長万部ー小樽間が廃止になることが決まっている。また、新函館北斗-長万部間は貨物列車だけの運行となるとされるがこの先この区間がどうなるかはまだわからない。

 そして私は、長万部―函館間の、山線と呼ばれる区間の列車に乗りに来た。かつて特急や急行も運行されていたこの区間も、勾配の険しい長万部―蘭越

間に至っては下り4本、上り5本しか運行されていない。

 この日長万部駅で13時29分発長万部行を待っていた十数名はおそらく私を含め皆鉄道ファンだっただろう。

 

 

 ホームで私たち乗り鉄が列車を待っていると、銀色車体の1両編成がホームに入ってきた。H100型という最新型の車両である。廃止が決まっている路線に最新型というのも皮肉なものだ。

 やがて1両きりの列車が列車が発車する。私と同じボックスには夫婦らしい初老の男女が座った。男性が鉄ちゃんで女性はそれに付き合っているのだろう。

「静かすぎるな。」

と男性が女性に言う。静かだというのはH100型の発信音のことだ。国鉄型のディーゼル車を懐かしんでのことだろう。私はH100型の発信音を聞いてモーターとかの音がしないな、と思った。この車両は電気式気動車と呼ばれる。高度経済成長期に日本の鉄道のディーゼル車両に採用されたのはトルクコンバータ(液体変速機)を介して内燃機関の動力を車輪に伝える液体式と呼ばれる車両だ。ところが道路を走る車としてハイブリッド車や電気自動車が開発されると、2本のレールの上を走る鉄道車両にも技術変革がもたらされた。でもってこのH100型は発信するときエンジン音とともにモーターやパワー半導体の音も聞こえるのかと思ったらそうではなかった。

 

 かつて蒸気機関車が重連で登った坂をH100型はエンジン音を響かせて登る。車窓にはまだ緑色よりも枯草の色が目立つ原っぱや、田起こし中の耕作地が映る。

「咲いている。」

と同じボックスの男女が話している。そうか、北海道では今が桜の季節なのだ。

 

 山線の両側には山が連なる。進行方向左側の方が山の数が多いようで、あっちの席を選んでいればよかった、とも思ったが羊蹄山だろうか、右側の車窓にも見事な山が映ったのでスマホのシャッターを切った。

 

 列車には蘭越あたりから鉄ちゃん以外の行楽客も乗るようになってきた。1両きりの列車が満員になったところで倶知安着。

 ここで小樽行に乗り換えである。1987年にはじめてこの路線に乗った時も、1991年に名列車のリバイバルであるC62ニセコ号に乗ったときもここには立派な駅舎とホームがあったが、今は新幹線開業までの仮のホームと屋根があるだけである。

 やってきたのは2両連結のH100型だ。今度の車両のボックスでは若いカップルと、若い女性が一緒に座った。間もなく出発。倶知安から先はだんだんと人が乗り込む。そして余市駅では満員だ。

 北海道新幹線開業とともに廃止になる山線だが、余市ー小樽間は結構通勤通学客の利用が多いという。余市にはニッカウヰスキー関連の観光施設もあるからそこへ公共交通で行く人も多いだろう。山線が廃止になればこれらの人々はバスを利用することになるのだが、少子高齢化社会でそのバスの運転手をどう集めるのか、というのが今から問題になっているそうだ。

 山線の旅も終わりに近づいた。そうすると向かいの席の若い女性が化粧を直し始めた。別に彼女に何か期待していたわけではないが…。

 

 小樽駅では山線の列車を降りた客でごった返す。小樽は風情のある港町だが今はそれを味わう余裕はない。同じホームに停まっていた新千歳空港行きの快速に乗り込む。こんどは車窓に高層ビルが映るようになった。

 札幌につかづくにつれ高くなっていくビル群を見ていると、今さっきまで廃止が決まったローカル線に自分が乗っていたとは思えなかった。

 

(『『阿房列車エチンゲ号は北を目指す(下)』へ続く)