戦争は女の顔をしていない | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 第二次世界大戦はロシアでは大祖国戦争という。私の母は4歳の時「満州」で敗戦を迎えて、ソ連兵には怖い思いをさせられたし、捕虜となった兵士のシベリア抑留被害やソ連兵による女性に対する性暴力は忘れてはならないが、ナチスドイツとの関係ではロシア人は被害者である。この大祖国戦争でソ連では2000万人が亡くなったが、これは当時のソ連国民の7人に1人に相当する。日本では看護婦や慰安婦を別にすると女性はもっぱら銃後の守りについていたが、この本の訳者あとがきによると同じときソ連では100万人の女性兵士が男の兵士と混じって戦っていた。『戦争は女の顔をしていない』は著者・スヴェトラーナ・アレクシエービチが数多くの女性将兵たちに聞き書きしてまとめたものだ。
 
 女性たちが軍に入った経緯は様々だ。中央の共産党本部が地域の支部に集めるべき兵の数を割り当てる。ある女性の住んでいた村はすでに青壮年の男たちが戦地に行っていて、ということで動員された。ある女性は祖国が苦しい状況にいてもたってもいられず、軍から何度断られても志願し続けて。
 一度入ったからには男並みに戦わなければならない。14,5歳で入隊した女性の中には入隊後初めて生理を経験したが、どう対処すればいいかだれにも聞くことができなかった、と語る人がいる。生理で血を流しながら行軍した女性の話もある。軍務のストレスで生理の止まった女性もいる。
 戦車の中から負傷した兵士を引っ張り出したという看護兵の話は壮絶だった。
 軍に入隊するとき、それまで伸ばしていたおさげ髪を切らされ、刈り上げにしたという話は何度も出てきた。そういう話を読むと、映画『ひまわり』にでてきたあのカットは作り話だな、と思う。
 『ひまわり』はソフィア・ローレン主演の有名作品だ。第二次世界大戦中、ドイツの同盟国だったイタリアも当時ソ連の一部だったウクライナに軍を出した。ヒロインの夫もそこへ派兵され、厳寒の戦地で隊に取り残されるのだが敵兵に救助される。夫が女性兵士に引きずられて救助される場面があるのだが、この場面では女性兵士が夫の両足を交互に引きずるたびに赤毛のおさげが髪が揺れる。夫にはその女性兵士が天使に思えただろう。その後夫はその女性兵士と結婚し、ヒロインと悲しい再会をするのだが…。入隊時に切った髪が戦闘を続けている間に伸びたとしても、あのような見事なおさげ髪にはならないだろう。
 だが、衛生兵や軍医が憎かったはずの敵兵を救う話は『戦争は女の顔をしていない』では何度も出てくる。中には、二人の敵兵を交互に引きずって救った話も…。
 
 

 

 私がこの本を読んでいる間に、 『戦争と女の顔』という映画が公開された。『戦争は女の顔をしていない』を原案とした、カンテミール・バラーゴフの監督作品である。

 映画の舞台は1945年の戦後間もないレニングラード。戦争で受けた傷の後遺症で発作を起こし最悪の時には人を絞めつけるイーヤと、戦争で受けた傷により子供を産めない身体となったマーシャとが愛憎入り混じった葛藤を繰り返す話だ。

 映画のラストの方で、マーシャが恋人との結婚を認めてもらうため彼の両親と会う場面がある。彼の母親は、女兵士は戦地でたくさんの男兵士の相手をしたに違いない、と彼女を拒絶する。これも『戦争は女の顔をしていない』では何度も出てくる話だ。祖国のため男同様に戦った女が戦争が終わると差別の対象となる。そこにこの本のタイトルの意味がある、と私は思う。