平将門は何を思う | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 2019年5月11日、12日の週末、東京神田の神田明神では神田祭が執り行われている。私は11日に所用があって神田駅周辺の地域に行ったのだが、江戸下町の文化が伝わるこの町では町内会ごとに神輿が繰り出されて賑わっていた。

 

 

 さて、今日本は改元ブームだが、この祭もそれとは無関係ではない。

祭のポスターにも、幟(のぼり)にも、神輿に付けられた細長い布にも、

「奉祝 天皇陛下御即位」

の文字が翻る。

 

 

 神田川を渡ると、神田明神通りはさらに賑わっている。

 

 

 参拝者が列をなす神田明神本殿。

 

 

 境内にはこんな広告もあった。

 

 

 商売繁盛に御利益がある、とされる神田明神だが、「オタクの聖地」秋葉原の近くにある、ということでアニメファンの信仰も集める。

 

 

 さて、この神田明神では三柱の祭神を祀っているが、その一柱は平将門という歴史上の人物である。

 将門は下総国(現在の千葉県北部と茨城県南部)を拠点とする豪族だが、939年(天慶2年)に挙兵して下野(しもつけ)、上野(こうづけ)、常陸(ひたち)の国府を乗っ取り、新皇と名乗って関東の大半を征服した。後にいう将門の乱である。乱は翌年制圧され、将門は今日へ連行されて処刑される。彼の首は京で晒されたのだが、関東まで飛んでいったという伝説がある。朝廷から見れば平将門は謀反人なのである。

 鎌倉時代に入り、1309年(延慶2年)に将門は神田明神に合祀され、神となるのだが、それはこの地域を見舞った天変地変や疫病が将門の祟(たたり)とされたため、彼の霊を鎮めることを目的としたものだった。

 将門が朝廷に謀反をはたらいた理由については諸説があるが、後の人たちの中には彼が庶民の窮状を見兼ねて立ち上がった、と信じる人も現れた。

 

 そんな神田明神だが、明治に入ればほかの神社と同様、天皇制イデオロギーの発信拠点として体制に組み込まれる。そこからまた時は流れたが、明治から大して変わらず「奉祝」である。かつて天皇に弓を引いた平将門は令和の祭をなんと思うだろうか。