庶民と大衆となんたらかんたら | Kura-Kura Pagong

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"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 『週刊金曜日』2018年2月23日号で、先日亡くなった西部邁の追悼特集をやっていた。

「あれって左翼の雑誌でしょ?西部邁って右翼じゃない?」

と思う人もいるだろう。確かにこの雑誌の固定読者は左翼とかリベラルとか呼ばれる人である。しかし、この雑誌の編集委員の一人でこの特集を責任編集している中島岳志は保守思想家だ。また、佐高信は思想では対立していても趣味は一緒だという。まあ、雑誌の内容に幅を持たせること、固定読者に自分たちと違う視点の見方を提供すること自体に私は異議はない。

 
 西部に師事していた中島は、寺脇研や佐高との対談で、西部は「庶民」と「大衆」を区別していた、と語っている。
 共同体の中で古くから受け継がれてきた考え方を知恵として尊重する、それが保守の思想だが、西部はそういう知恵に基づいて生活する人たちを庶民、一方で迎合的な政治家やマスメディアに踊らされる人たちを大衆と定義していたという。しかし、本当に西部は両者を区別できていたのか、と私は思う。
 
 1989年、学生だった私は大学生協の本売り場で西部の書いたものを立ち読みした。そうしたらその論文では、その年施行されたばかりの消費税のことが書かれていた。西部はそこで
「消費税のせいで野菜の値段が上がった、消費税は子供いじめだ、という者がいるが、なぜ彼らは外車がいくら安くなった、とかいうことには関心を持たないのか。」
ということを書いていたのだが、私はそれを読んでから何年かの間、西部に対してアレルギーを持つようになった。こいつは自分で野菜を買ったことがないのだろう、そういうことを偉い、と勘違いして小難しいことを書いているんだ、とその時私は思ったのだ。妻に家事を依存しているにも関わらず、すべての女は馬鹿だ、という大衆のオッサンの発想で彼はこれを書いた、と今でも私は思っている。
 
 1991年の湾岸戦争のとき、秩序は人命よりも重要だ、と彼は書いたが、石油を大量消費しつづけたいがために戦争を支持した者は庶民なのか?基地問題を巡って1995年に行われた沖縄の住民投票のことを彼は「死の踊り」と書いたが、国策を従順に受け入れるのが庶民なのか?
 
 彼が「自裁死」について考えていたであろう頃、
「近頃日本は右傾化が進みましたね。西部邁が中道に思えてくる位です。」
と私は居酒屋で話していた。しかしとんでもない。彼は扇動者の側に居たのだ。
 西部に影響を受けた言論人に漫画家の小林よしのりがいる。1996年ころから彼は漫画の中で日本の国家を絶対視する思想を過激な描写で展開し、若者の間に排外思想を広めていくのだが、あれこそマスメディアで大衆を踊らせる行為ではないのか?
 
 ところで、対談記事を読んで意外に思ったことだが、西部は三島由紀夫を嫌っていたという。その三島は陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹して命を終えているのだが、ドナルド=キーンによると彼が自死したのは歳をとりたくなかったからだ、という。一方、79歳まで歳を重ねた西部は近い将来ボケたりすることに不安を感じていたのかもしれないが、それで死を選んでしまっては嫌いな三島と一緒ではないか。