察する人と察しない人② 察してもらいたい心理 | クラゴン親方のRacing Blog

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察しないマンが分析する察する心理です。

 

察するのってだいぶ難しくね? 高い能力いるんじゃね? というのが前回のあらすぢ。

 

 

察しない人が困ったちゃんとして話題になりがちですが、察しない人が存在するには、察してほしい人の存在が必要不可欠です。

 

全員が察しない人なら、察するという概念はそもそも存在しない。

 

みんな何も考えずにうえーい(/・ω・)/ってなるだけ(笑)。

 

 

で、なぜ察してほしいのかといえば、それが快感なんですよね。

 

オレの判断のベースは基本的にコレです。全ての選択や判断には何らかの快が、その人なりのメリットがあってそうしているという考え方。違うこともあるだろうけどけっこう合ってると思う。

 

察してもらうことに何らかの快楽、メリットを感じるということです。

 

まずはコミュニケーションに成功したという快感楽。

 

コミュニケーションは快楽です。コレは断言できる。どちらかというと失敗したときに不快と感じることが多いけど。

 

誰かに脅されてるんじゃあないかと思うほど英語やるのも、まさにコミュニケーションに成功するため。仕事とかナニとかイロイロなこと言うけど、そこもひっくるめてメリットあるじゃないですか。

 

そしてもうひとつはラクチンにコミュニケーションできたという快楽。

 

察してもらうの本質は、「細かい説明はしないけどこっちの思う通りに認識&行動してほしい」だべ。

 

すげえ楽できるんですよ。楽というのは間違いなく快楽でしょ。

 

そりゃー察してほしくなるわなーという気分です。

 

 

ただ察してもらいたいのと、それを人にぶつけるのはまた別のアレですが。

 

続く。