察しないマンが分析する察する心理です。
察するのってだいぶ難しくね? 高い能力いるんじゃね? というのが前回のあらすぢ。
察しない人が困ったちゃんとして話題になりがちですが、察しない人が存在するには、察してほしい人の存在が必要不可欠です。
全員が察しない人なら、察するという概念はそもそも存在しない。
みんな何も考えずにうえーい(/・ω・)/ってなるだけ(笑)。
で、なぜ察してほしいのかといえば、それが快感なんですよね。
オレの判断のベースは基本的にコレです。全ての選択や判断には何らかの快が、その人なりのメリットがあってそうしているという考え方。違うこともあるだろうけどけっこう合ってると思う。
察してもらうことに何らかの快楽、メリットを感じるということです。
まずはコミュニケーションに成功したという快感楽。
コミュニケーションは快楽です。コレは断言できる。どちらかというと失敗したときに不快と感じることが多いけど。
誰かに脅されてるんじゃあないかと思うほど英語やるのも、まさにコミュニケーションに成功するため。仕事とかナニとかイロイロなこと言うけど、そこもひっくるめてメリットあるじゃないですか。
そしてもうひとつはラクチンにコミュニケーションできたという快楽。
察してもらうの本質は、「細かい説明はしないけどこっちの思う通りに認識&行動してほしい」だべ。
すげえ楽できるんですよ。楽というのは間違いなく快楽でしょ。
そりゃー察してほしくなるわなーという気分です。
ただ察してもらいたいのと、それを人にぶつけるのはまた別のアレですが。
続く。