レーシングドライバーの中の人の話 33 | クラゴン親方のRacing Blog

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意味なくレーシングな日々をアレしていきます

三流以下のアレは完全にオレの話です。


1998~2001年にやったミラージュ東北シリーズ。


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98年は悪くなかったんですよ。まだ30台以上集まってたレースでデビュー戦で予選10位だったり、4戦目で6位まで上がったり、最終戦で全損したり。


最終戦は、全損する前の雨の練習はブッチギリのトップタイムで、雨が止んでも4~5番手くらいにいて、なぜだか理由はわからんのですが絶好調だったんですよ。


それまで目立った結果も残ってなかったし、これ行くべと思って、そのまま予選で狙ってったらSUGOの3コーナーでオトコになりました(笑)。


やっぱり3コーナー全開はダメだったかなあ。いや今の腕なら行ける。反省するくらいならレースやりません。


というカンジで1年目、ハコ車デビューイヤーの割には悪くはなかったんです。まわりの人は何年もやってるみなさんでしたから。



が、2年目と3年目がひどかった。


2年目はシリーズ4位、3年目はシリーズ2位。シリーズは年間総合ポイントの順位です。毎レース順位に応じてポイントがついて、最多ポイントがチャンピオンになるヤツです。


1年目がポイントゼロだったので、シリーズ順位だけ見ると悪くないんですよ。2年目以降はレース規模が縮小されて、普通の地方選手権になって台数が減ったという面はかなりありますが。


2年目は5戦中4戦が4位でシリーズ4位。3年目は6戦中5戦が2位でシリーズ2位。毎回毎回毎回毎回、飽きることもなく同じ順位でした。


そう、まさに「次のレースは」と思っていた時期です。やっていればいつか何とかなると思ってました。自分が遅いのがわからないから、心配しないから対策もナシ。もちろん何ともならずに、1年間ずーっと残念なレースをやってました。


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そして4年目にH郷さんの「今年チャンピオン獲れなかったらレース辞めさせっから」があったんだな。


前年にチャンピオンになった人がシビック東北シリーズに出場されるということで、ミラージュ東北は順当に行けばオレがチャンピオンの最有力候補です。3年もやってきて、具体力は山ほどある。確かにこの状況でダメならもう才能ないってことでいいべ。


この4年目で何とかチャンピオンになって、レースを辞めないですみました(笑)。


今思えばですが、「勝ちたい」と思うのと、明確に「勝つ」と思うのは全く違います。「勝ちたい」のうちは具体的に何かをするってことはなかったな。あるいは何かをしたくても、何をすればいいかがわからない。


勝ちたいのは気持ちの問題。勝つのは物理的な問題です。

物理的な問題だとね、逃げ場がないんですよ(笑)。


追いつめられてやっとわかったような気がします。



アレからもう10年くらいですか。


当時のポンコツっぷりを思い出すと、ハズカシくてイロイロと漏れそうです。そして、見捨てずにアレしてくれたH郷さんのアレっぷりがやっとわかる歳になったのやもしれません。


あそこで言われなかったら、オレもずっと「次のレースは」と言っていたでしょう。


ある程度の才能ある選手は、そこをサラッと通過できるからこそ、上手くいかなくなってから難しい部分もあると思います。その点オレは才能ないから(笑)。スタート地点が三流以下だと思えば、心配も対策もするってもんです。