本日のテーマ
【何を信じるか…】
人は、自分が求めていることほど、「簡単に実現できる」と言われると、それを信じたくなるものなのかもしれません。
たとえば、願い事をかなえるために、
「厳しい修業や努力を続けなければならない」
と言われるより、
「これを唱えれば願いがかなう」
と言われた方が、信じたくなる人もいるでしょう。
しかし、世の中は、それほど甘くありません。
努力をしなくても成功できる。
唱えているだけで願いがかなう。
これさえ持っていれば幸せになれる。
そうしたものを、本当にそのまま信じてよいのでしょうか。
私は、「信じる」ということについて、もっと真剣に考える必要があると思っています。
大切なのは、
「信じるか、信じないか」
ではなく、
「何を信じるのか」
です。
スリランカ上座仏教の長老、アルボムッレ・スマナサーラ氏は、著書『あべこべ感覚』の中で、「信じなければいけないものは、嘘」という、非常に鋭い表現を使っています。
その中で、日本人の宗教との関わり方についても触れています。
般若心経をお守りにしたり、うちわや湯のみ、ネクタイなどにまで書いて身近に置いたりする。
しかし、そこで、
「それほど強く信じているものを、本当に理解しているのか」
と問いかけています。
そして、
「事実は、信じる必要がない」
と述べています。
たとえば、「地球は丸い」ということを信仰する人はいません。
それは、確かめられた事実だからです。
しかし人は、確かではないものや、自分では確かめていないものほど、「信じなければならない」と思い込むことがあります。
そして、信じることそのものに価値を置いてしまう。
「多くの人が信じているから正しい」
「昔から伝えられているから正しい」
「権威のある人が言っているから正しい」
そうとは限りません。
どれだけ多くの人が信じていても、間違っているものは間違っています。
どれだけ耳ざわりのよい教えでも、人を惑わせ、依存させ、自分で考える力を奪うものであれば、注意しなければならないと思います。
「信じていれば安心」
と思っていることはないでしょうか。
しかし、信じているだけでは、現実の問題は解決しません。
仕事で成果を出したいなら、学び、経験し、努力する。
人間関係をよくしたいなら、自分の言葉や態度を見直す。
願いをかなえたいなら、その願いに近づくための行動をする。
唱えるだけ。
祈るだけ。
信じるだけ。
それだけでは、現実はなかなか変わりません。
もちろん、信じることによって心が支えられることはあります。
しかし、その「信じる」が、自分で考えることをやめる理由になってはいけないと思うのです。
私は、
「信じる者は救われる」
という言葉についても、
「何を信じても救われるわけではない」
と思っています。
間違ったものを信じれば、かえって人生を誤ることがあります。
だからこそ、
「これは本当なのか」
「なぜ私は、これを信じているのか」
「その教えは、自分や人を本当によい方向へ導いているのか」
と、自分自身に問いかけることが必要です。
私が尊敬する、ある僧侶はこう言いました。
「般若心経は、知識として知ることや、唱えることが般若心経なのではない。そこに書かれていることを学び、実践することこそが般若心経なのです」
私は、この言葉に深く共感します。
どんなに立派な教えでも、唱えているだけでは意味がありません。
大切なのは、ただ信じることではなく、その意味を理解し、自分で考え、確かめ、実践することです。
そして何より大切なのは、
何を信じるべきかを見抜く力を持つこと。
信じる者は救われる。
しかし、間違ったものを信じても、救われるとは限りません。
だからこそ私たちは、「何を信じるか」をしっかりと見極める目を養っていかなければならないのではないでしょうか。