本日のテーマ

【満たされるより、

少し足りないくらいが良い】

 

 

人の暮らしや人生は、すべてが整い過ぎている状態よりも、少し足りないくらいのほうが健やかだと思います。足りなさは不便です。けれど、その不便が工夫を生み、感謝を呼び、人の心を引き締めます。

 

日本は戦後、貧しい生活環境から目覚ましい経済成長を遂げ、世界でもトップレベルの豊かさを築きました。衣食住が満ち、生活は便利になり、不自由は大きく減りました。これは誇るべき成果です。

 

しかし、豊かさが行き過ぎると、別の歪みが生まれます。モノは粗末に扱われ、贅沢や無駄に鈍感になり、「あって当たり前」「お金さえあれば何でも買える」という感覚が広がっていく。満たされるほど、人は満たされにくくなる――そんな矛盾すら感じます。

 

ここで、身近な例を一つ挙げます。
冷蔵庫や棚に食べ物が常に十分あると、「いつでも食べられる」という安心がある一方で、食べ物のありがたみは薄れがちです。空腹でもないのに口に入れてしまう。安いからと買い過ぎて、結局は余らせて捨ててしまう。ところが、少し不便で、少し足りないくらいだと、人は考え始めます。献立を工夫し、食材を使い切ろうとし、食べる時に「おいしい」と感じる心が戻ってくる。不足は不自由であると同時に、生活を整える力にもなるのです。

 

だから私は、満ちきった時代よりも、少し不足のある時代のほうが輝いて見えます。たとえば1960年代。敗戦後のどん底から立ち上がり、生活はまだ十分ではない。それでも「アメリカに追いつけ追い越せ!」という合言葉のもと、日本中が前を向き、努力が社会の空気をつくっていました。そこには希望があり、一体感があり、今より不平不満が少なかったように思うのです。

 

考えてみれば、人生は「満たされた瞬間」より「満たされる手前」に心が動きます。遠足や旅行は前日がいちばん楽しい。食事も、空腹が深いほど美味しく感じる。人は満ちることそのものより、満ちていく過程に喜びを見出すのかもしれません。

 

現代の生活習慣病が、食生活の乱れや運動不足から生まれていることを思うと、豊かさが健康を損なう側面も否定できません。貧しい時代には少なかった病気が、豊かな時代に増えた。これは象徴的です。

 

豊かさと贅沢は違います。必要なものが満ちるのは幸せです。しかし、満たし過ぎれば心も身体も鈍っていく。だからこそ、満足はほどほどにしておきたい。少し足りないくらいが、人を育て、暮らしを整え、人生を味わい深くしてくれるのだと思います。

 

壁に掛けられた看板

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■パスカルの言葉
「人間にとって、苦悩に負けることは恥辱ではない。むしろ快楽に負けることこそ恥辱である」