本日のテーマ
【大きな器とはどんな器か?】
自分の器を大きくしたいと、常々思ってきました。
自分の人生おいて、
夢を叶える…
使命を全うする…
そのためにどうしても人としての大きな器が必要だからです……。
器とは、人物の大きさを表します。
何に拘るか…
何を価値とするか…
何を優先するか…
器が小さいと、
小さいことに拘り…
小さいことに左右され…
小さいことで争いを起こし…
小さい世界でしか生きられない…
そんな生き方しかできないでしょう。
器が小さいと、小さいことで悩まされたり感情が動かされてしまう…
せっかくの人生ですから、器を大きくして生きていきたいです。
そんな思いを持っていたわたしは、ある時に新聞の記事に目がとまりました。
もう15年以上前のことだと思いますが、
読売新聞の『「ウ」の目 鷹の目』で、編集委員の鵜飼哲夫氏が「器」について触れていました。
その記事の一部に書かれていたことです。
学問にも仕事にも完成はない。春秋戦国時代の中国の思想家、老子に「大器晩成」、大きな器は完成するのが遅い、つまりは優れた人物は、じっくり大成するという名言があるが、1973年に、「晩」ではなく「免」と書かれた資料が発掘された。「免成」だと、「完成することを免れる」という意味になり、大きな器は、いつまでもたっても完成しない、現代流にいえば、優れた人物は、これで完成と甘んじず、いつまでも挑戦しているという意味にでもなろうか。これぞ、実るほど頭を垂れる稲穂かな、という生き方である。
「大器“晩”成」ではなく、
「大器“免”成」です。
器を大きくすることは深いようです。
器を大きくするとは、これで完成、これでよし、ということはなく、一生涯学び成長し続けるということなのでしょう。
人にはそれぞれの器のサイズがあります。
その器は自分次第で、大きくもなれば、小さくもなります。
もしも大きな器を目指すとすれば、目指せば目指すほど完成がないようです。
それは、自分の器はこれでいいと思った段階で、それ以上大きくならないからです。