本日のテーマ
【人を疑い批判する前に
相手を知ろうとする】
世知辛(せちがら)い世の中になったと感じることがあります。
人が
冷たくなった…
他人に無関心…
人を直ぐ疑う…
そんなことを感じる場面が少なくありません。
人への配慮や思いやりが希薄になってきたのかもしれません。
その逆を言えば、自分のことしか考えない人が増えたという見方もできるでしょう……。
自殺する人が後を絶ちません。
とても悲しいことです。
ご本人の思いや、家族の思いを考えると、さぞ辛いことでしょう。
わたしも過去に自殺を決意したことがあるもので、他人事とは思えないのです。
だから、自殺した人に対して、
死ぬんだったら何でもできるはず…
命を粗末にしてもったいない…
自殺は逃げ…
後に残される人のことを考えていない…
そんなことは言えません。
このような常識的なことは自殺した人たちは知っていたことでしょう。
しかし、それを遥かに超える苦しみがあったのだと思います。
だからわたしの場合、こう思うのです。
どんなに辛かったのだろう…
ココまで来る間にどれほどの悩みや葛藤があったのだろう…
苦しかったでしょう…
わたしも過去に自殺を考えなければ、こんなことは思わなかったかもしれません。
自殺を踏みとどまり、乗り越えてきましたが、そこで得たものは、
「苦しい立場にいる人の気持ちを理解したい」
ということかもしれません。
この事以外にも人の行為に対しても同じように考えるようになって行きました。
人が悪い行為をした時です。
例えば、犯罪等です。
麻薬で何度も捕まる人…
虐待をする親…
殺人者…
その行為が悪いことは誰でも知っていることです。
悪いと批判するのは誰でもできます。
しかし、悪いと言って当事者を戒めたり、世間に対してやってはいけないという警告の意味で言うのであれば結構なことです。
でも、ただの批判だけの場合もあります。
行った行為だけ見て、
悪い奴だ…
どうしようもない奴だ…
最低な奴だ…
わたしはこう考えます。
「なぜ、そんな事をしたのだろう?」
相手を悪者にする前に、その理由を知りたいという思いが働きます。
こんな故事があります。
「罪を憎んで人を憎まず」
(犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教え)
この意味にもあるように、「その行為には何かの事情がある」のかもしれません。
このような目線で様々なものを見て行くと、そこには理由を見つけることができたりします。
なぜあの子は非行に走るのか?
なぜあの子は人をいじめるのか?
なぜあの子は不登校なのか?
なぜあの人は引きこもるのか?
なぜあの人はあんな態度を取るのか?
わたしは人に対して、単なる疑いや批判する前に、相手を知ろうとする心を養いたいと思っています。
人の行為に対し、単なる批判だけする人が多くなれば、世の中は結果だけしか見ず、思いやりや優しさがなくなって行くでしょう。
人同士が理解し合え、生きやすい世の中にするためには人同士の思いやりが必要です。
そのためには、“相手の事情を知る”ことを心がけたいと思っています。
