本日のテーマ 

【人に配慮ができる人できない人】

 

 

数年前になりますが、新聞を見ていてある記事に目が留まりました。

わたしも同じ経験をしたことがあるからです。

その記事から、人は外見だけで見てはいけない、人を深く見ることの大切さを学ばされたのです……。

 

 

その記事のタイトルは、『見た目の悩み』でした。

病気やアザ、火傷、ケガなどで顔が変わってしまった人たちの悩みが紹介されていました。

その人たちの多くの悩みが「人からジロジロ見られる」ということでした。

 

人からジロジロ見られると、どんな気持ちになるのでしょう?

 

わたしの知人で知的障がい者のお子さんをお持ちの親御さんたちはこんな気持ちになると言っていました。

「街や公共の乗り物で、子どもが人からジロジロ見られたり、ヒソヒソ話をされたり、後ろ指を指されることがある…」

 

 

 

わたしもこんな経験があります。

若い頃の交通事故でのケガで、左足のふくらはぎに大きな傷痕があります。

夏場には短パン姿でジョギングをしますが、ある時にランニングをしていると、前方に60代くらいの女性二人が歩いていました。

後ろから追い越して走り抜けた瞬間、「見て見てあの足、凄い……」という声が聞こえました。

自分ではさほど気にしていませんでしたが、やるせない気持ちになったことがありました。

 

ましてや、顔や体の障がいでは、わたしのこの時の気持ちは比にならないほどの辛さがあるはずです。

 

わたしが自分の足のケガの痕から学んだのは、人にはいろいろな見方をする人がいるということでした。

今のわたしが心がけているのは、相手を少しでも理解することです。

街でその様な人と出会った時には、

「自分がその立場だったら、また自分の家族がそのような立場だったら」

と考え、相手を不快な思いをさせないようにしています。

ジロジロ見たりせず、無視するのでなく、普通に接するようにしています。

 

 相手の気持ちも気づかず軽はずみな態度をとる人…

 相手の気持ちを配慮する人…

 

ココに「人格(人間としてのあり方)の差を感じる」のです。

人格というのは、このような気づきを積み重ねてつくられて行くものではないでしょうか……。