本日のテーマ 

【どう生きるかを哲学する】

 

 

20代の時に、ある人から言われました。

「哲学を持ちなさい」

 

その当時は、哲学も分からず聞き流していましたが、歳を重ねるごとに哲学を持つことの価値や重要性が理解できるようになっていきました。

 

人の話を聞いていて、説得力があると、

 なるほど!…

 その通りだ!…

 確かにそうだ!…

という相槌をうってしまことがあります。

裏付けられた確信や知識の深さにより説得力が備わっているからなのでしょう。

 

一つの知識をさらに深く考え、具体的することで、より明確に表現できるようになります。

物事をハッキリさせるときには、良く考え、疑問に思うことを追究します。

このように深く追究することが哲学です。

 

哲学とは…

 人間とは何か? 

 生きるとはどういうことか? 

 幸せとは何か? 

 知るとはどういうことか? 

を考え、根本の原理を追究する学問です。

 

「宗教」と「哲学」は似ていると思っている人もいるようですが、

 宗教は信じることからはじまり…

 哲学は問いからはじまる…

という対照的なものになります。

 

宗教は神仏や思想を信じなければ何もはじまりません。

「神や仏が存在するか?」など考えていたら話にならないですね。

それとは反対に哲学は、“なぜ?”からはじまります。

 

わたしは22才の時の交通事故で、死の淵から生還するという体験から自身の人生を深く考えるようになり、人生に対し自分に問いを投げかけ続けてきました。

 

その問いは…

「何のために生きているのか?」

 

その答えは…

「幸せになるために生きている」

 

では、

「幸せとは何か?」

 

このようにしてより深く追究することにより、人生をどう生きるかのヒントがハッキリしてきます。

 

三重苦の障がい者のヘレン・ケラーに指導したサリバン女史の言葉に、

「なぜか?の問いこそ、子どもたちの理性と内省の世界に入る扉だ」

とあります。

「なぜか?」の問いは知ることをより深く知るキッカケをつくります。

それは、質問を繰り返すことで、本質に近づけるからです。

 

知ることはハッキリさせることです。

人により人生への考え方は異なるかもしれませんが、大半の人たちが人生を考えて生きていて、「人生をいかに生きるべきか」を考えてきたのではないでしょうか。

 

わたしはこんなことをハッキリさせたかったです。

 人生とは何か…?

 生きるとはどういうことか…?

 

そして出した結論は、

「このような答えを探しているのであれば“人生観”を考えるべき」

 

人生観とは…

人生に対する見方。人生の目標・意味・価値などについて自分なりの答えを出し、いかに生きるかを具体化していく指針のようなもの。

 

人は自分の人生観をベースにして生き方を考えます。

その人生観が物事の考え方を決め、浅く考えるか、深く考えるかによって気づくことも変わってくるでしょう。

だからこそ人生観を磨くために深く考える哲学が役立ちます。

 

哲学とは、価値観や人生観を磨くため、そして自分を知るための学問です。

わたしが深く考えてきた問いはこれでした。

 

 

 

「何のために、どう生きるか?」

 

この答えを出すまでにかなりの時間を費やしましたが、今ではこの答えがあるので、ハッキリとした“生きる意味”を持つことができました。

自分の人生観を持つことは、“人生の道しるべ”となりました。

 

人生で大切なことは、

「今どこで何をしているかよりも、何のために何処に向かっているか」

だと、今のわたしは確信しています。