本日のテーマ
【求めることは損をする】
人生では、様々な人との出会いがあるものです。
最初から、親切にしてくれる人もいました。
とても交感を持っていたのですが、ある日のこと…
「今度はあなたが何をわたしにしてくれるの!」
と、見返りを求めてきたのです。
わたしは、とてもガッカリして人間不信になってしまいました……。
見返りという訳ではありせんが、私たちは人に‟求める”ことがあります。
身近な家族でもそうです。
日頃、奥さんが食事の支度をしていると、それが当たり前になり、やってもらって当然という感覚になってしまいます。
そうなるとやってもらわないと不満を感じてしまうようになります。
このようにしていつしか自分が‟求める”ようになってしまうのです。
求める気持ちは、相手が期待通りにしてくれなければ不満を感じたり、こちらがやってあげたことに相手が応えてくれなければ、がっかりしたり、相手を批判する気持ちになったり、ときには恨むことすらあります。
親切にしたのに、お礼を言われなかった…
やってあげたのに、何もしてくれない…
自分は夫だから、妻がやって当たり前…
自分は役職が上だから、部下がやって当たり前…
お金を払っているのだから、サービスされて当たり前…
自分は高齢者だから、席を譲ってもらって当たり前…
家族だから…
目上だから…
権利があるから…
これらのことは「求める心がつくりだした不満」です。
わたしは、あるときに気づきました。
自分は、ときとして“求める”ことがある。
自分の期待していた通りにならなければ、相手を責めてしまうのです。
それは“相手の反応によって自分の心が影響を受け乱されている”ということでもありました。
自分自身の精神が“みみっちく”なってしまっていたのです。
もし、‟求める”ことをしなくなったらどうでしょう?
相手に求めなければ、
期待をしない。
腹を立てない。
批判をすることはない。
恨むことはない。
求めなければ、相手がどうであれ、自分の心は乱されません。
武士道には、見返りを求めない一方通行的な精神があります。
あくまでも、世のため、人のために自分が一方的にすることであり、その見返りを求めることを“恥”としていました。
武士は志を持ち、事を成すために日頃より穏やかな心を維持することを重んじていました。
そのため、見返りなどを求めなかったのでしょう。
‟見返りを求めない一方的な優しさ”や‟行動”ができる人こそが、立派な人ではないでしょうか。
■哲学者の加島祥造の言葉…
「求めない――すると頼らなくなる。これが『求めない』のいちばんすごいポイントかもしれない」
わたしの体験ですが、
求めない訓練をしてから心が穏になってきました。
“求めてしまったからこそ起こるマイナスな感情”がなくなったのです。
その経験から、求めることは多くの損をすることに気づくのでした。