本日のテーマ

【なぜ道徳を教えるのが難しいのか?】

 

 

こんな質問を受けたことがあります。

 

「道徳とは何ですか? 道徳を説明しろと言われたらどう答えますか?」

 

「道徳」は、私たちが日頃より口にするほど身近なことです。
しかし、改まって「道徳とは何か?」と考えると、なかなかうまく説明ができないという人もいるのではないでしょうか。

 


辞書で調べることは簡単です。

 

道徳とは、
ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。(大辞林)

 

とあります。
一般的には、
規範、モラルを守るという認識をしている人が多いかもしれません。

(規範とは、行動や判断の基準・手本)
(モラルとは、行儀、作法、礼儀)

 

 ポイ捨てしてはいけません…
 お年寄りや体の不自由な人には親切にする…
 礼儀正しくする…

など。

 

このようなことの前に、大切な表現があるような気がします。

わたしが「道徳とは何ですか?」と聞かれたら、

「道徳は人や他の物事に対する思いやる心のあり方」

と答えます。


 

他人や他の物事に対して配慮することです。

 

配慮とは、

他人や他の事のために心をくばること。

 

だから、

 何々をしてはいけない…

 何々をしなければいけない…

という前に、‟なぜそれをする必要があるか”が肝心です。

 

 何々をしたら人が迷惑する…

 何々しなければ人に対して失礼だ…

というように迷惑をかけることや、失礼なことをすることはよくないという意味があります。

なぜ、それをするか、それこそがまぎれもなく人を思いやる心を説いていることになります。

 

だから、「してはいけない、しなければいけない」の前に相手を思いやることの大切さを認識することが肝心になります。

 

「ゴミをポイ捨てしてはいけない」
と教えるより先に、
「ポイ捨てをしたら誰に迷惑がかかり、どんな結果になるか、自分が逆の立場になったらどうか? だからポイ捨てはいけない」

 

なぜ礼儀が必要か?
「あいさつや礼儀ができないと社会人として認められない」
と教えるよりも、
「人同士が生き合う社会は、人への思いやりができる人が他人から認められる人。だから人を大切にするために行うのがあいさつや礼儀です」
と教えたいですね。

 

きっと最初に道徳を説いた人は、人を思いやることの必要性を感じたのではないでしょうか。

 

 

道徳教育は難しいと言われます。
その理由は、
道徳は知識にあらず、実践しなければ道徳にならないからだと思います。
すなわち、教える人間が単なる資料や言葉で教える道徳は「道徳らしきもの」で、まだ道徳にはなっていません。もしも、教える人間が、資料や言葉だけで教えているのであれば、それは教えられる側には説得力を欠き理解できない結果を招くことでしょう。

教える人間が道徳の知識を実践して示すことで、はじめて道徳となります。
道徳という教科は、とても難しいのはそんな特殊な性質を持っているからなのでしょう。

 

日本人の道徳が問われる昨今、その理由は、教える人間がマニュアルで教えて、実践を示さなくなったからかもしれません。



道徳は、知識やテクニックではなく、「相手を思いやる心」と「それを実践すること」ではじめて「道徳」になると、わたしは考えます。

道徳とは何か?
「徳の道」です。
「徳」とは何か?
人から
 喜ばれること…
 必要とされること…
 尊ばれること…

「道」とは何か?

実践して生きるという生き方と考えます。

 

わたしも道徳の実践ができるように生きたいです。

人に失礼な言動をしないためにも……。