本日のテーマ

嘘にもいろいろある~許される嘘~

 

 

「嘘をついたことがない」

そんな人はいるのでしょうか?

 

大人たちは子どもたちに教育として、

「嘘はついてはいけない!」

と教えます。

 

 

たとえば、我が子に“嘘をつくことはいけない”と教えたとします。

その子どもから、

「だったら、お父さんとお母さんは嘘をついたことないの?」

と言われたらどうしますか?

 

きっとドキッとするのではないでしょうか。

わたしも同じです。

さんざん嘘をついて生きてきましたから……。

 

嘘にもさまざまな種類があります。

 ごまかすため嘘(つじつまが合わせる嘘)…

 立場をよくするための嘘(自分の印象をよくする嘘)…

 個人以外の相手にたいする嘘(税務署や会社に対する嘘)…

 善意からの嘘(相手に気づかう嘘)…

 

人間は弱いもので、自分を守るため、よく見せるために多くの嘘をつきながら生きているのかもしれません。

しかし、善意の嘘は必要なときもあります。

それは、“相手を気遣う嘘”です。

 

待ち合わせしていて相手が遅れてきた。

「ごめんなさい、待ったでしょう?」

 

不機嫌になっているのに

「大丈夫、気にしなくていいの…」

 

善意の嘘について、ロバート・ウルクとアーサー・ヘンリーは著書『うそをつく権利』でこのように述べています。

 

「円満な結婚生活は、愛だけでなく、うその産物でもある。夫婦というものは、たとえ充分に補いあうような関係であっても、しょせんは別々の人間であり、つねに二人の気持ちがぴったりと一致することなどありえない。おたがいに一から十まで正直であろうとすれば、必要もないのに相手を傷つけてしまうことさえあるかもしれない。そのために夫婦の微妙なバランスが崩れてしまうこともある。建設的で思いやりあるうそは、おたがいを守ってくれる。だから、よいうそは、よい結婚をつくるのである」

 

またこのようなことも言っています。

「『みんながうそをつく家族は仲がよい』 もちろん、これは生活を破壊してしまうようなうそではなく、おたがいを傷つけないためのちょっとしたうそのことだ」

 

さらにこのようなことも言っています。

「うそが許されるのは、それによって事態が好転すると思われるときだけである。うその道理をわきまえたものでなければならないし、しかるべきに上手につかなければならない。うそをつくかどうかは、予想されるデメリットとリスクを天秤にかけて正しく判断しなければならない」

 

 

嘘も方便ということわざがあります。

(方便とは、仏教では“仏が衆生を教え導くための仮の手段”を意味する)

嘘をつくことは良くないことですが、ときと場合によっては必要になります。

 

ついて良い嘘は、善意からの嘘だけで、ウルクとヘンリーが言うように事態が好転するときのようです。