本日のテーマ
【器量を養う】
人の生き方はさまざまですが、生き方もその人の持つ器量で決まると言っても過言ではないでしょう。
器量とは、
「器」は才能あること。
「量」は心の大きさ、徳のあること。
ある事をするのにふさわしい能力や人徳。
わたしが思う器量とは、一言で言えば“スケール”になります。
1 受け入れるスケール(人・出来事)
2 発想するスケール(考える規模の大きさ)
すなわち、相手を理解し、受け入れることのできる器の大きさ、つまり心の広さや深さであり、考える規模です。
とかく器量が狭いとこうなります。
小さいことに心を乱される…
目先のことしか見えない…
些細なことで感情的になる…
人を許すことや認めることができない…
人格を表す上で欠かすことできないのが、その人の“器量”です。
人生を築くには、まずはしっかりとした自分づくりからです。
そのためにも器量を養う意識を持ちたいものです。
では、どんな人を器量のある人というのでしょうか?
器量のことについては歴史上の人物で、よく引き合いに出るのが西郷隆盛です。
西郷隆盛の「受け入れること」と「発想すること」の器量を表す二つの例をご紹介しましょう。
坂本龍馬が西郷隆盛に初めて会った時のことを勝海舟に報告しています。
「西郷という奴は、わからぬ奴だ。小さくたたけば小さく響き、大きくたたけば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」
また、西郷隆盛の発想がうかがえる言葉があります。
「学問とは、己を修め、人を治める器量を養うことである」
この意味は、学問をすることは、自分が修業し学んだことを人が平和に暮らせるように役立てること。
西郷隆盛から学ぶことは、
1、人を見るときも身分ではなく、人そのものを見て相手の器の大きさに合わせて対応する。(相手の役職や肩書ではない、また相手を見下さない)
2、大きな志を持ち、自分が得た力を人や世の中のために使う。
器量を養うには大きなものに目を向けることが大切であると感じます。
西郷隆盛の言葉に、
「人を相手にせず、天を相手にせよ。 天を相手にして、己れを尽くして人をとがめず、 我が誠の足らざるを尋ぬべし」
とありますが、西郷隆盛は人ではなく天(神)を相手にしていたのでしょう。
器量を養うためには、器量の大きな人を目標に置くことが大切です。
そして、
小さいことに心を乱されない…
目先のことに捉われない…
些細なことで感情を動かされない…
人を許し人を認める…
これらの事を意識し、実践できるように訓練を積むように心がけたいものです。
