本日のテーマ

【気づかなければ生き方は変わらない】

 

 

以前の講演会で、講演が終わった後、スーツ姿の若い男性(20代後半くらい)が近寄ってきました。
そして、伺いたいことがありますが、よろしいですか?
「倉部さんはどのようにして“自分の生き方”を見つけたのですか?」

 

……わたしはこう前置きしました。

「答えることは簡単なことで、わたしなりの答えを言うことはできます。しかし、その前に一言を言わせて下さい。わたしの答えはあくまでも参考にしかならないでしょう。それは、この答えに辿り着くまでのプロセスという実体験があって、このプロセスが一番重要なのですが、残念なことに言葉では言い表すことができないからです。あなたが求めている答えを知りたかったら、見つけることに本気で挑まなければ見つけることはできないでしょう」

 

そんな厳しいことを前置きしながら話しはじめました。


わたしは自分の死を見つめることから意識が変わりはじめました。
講演の中でも触れましたが、交通事故で死の世界を目の当たりにしました。
不思議な体験でしたが、死後の世界があることをハッキリ自覚しました。
そのときに気づいたことは「死は他人事ではない」という当たり前のことでした。
事故前は、当たり前のことを本心から気づいていなかったのです。
それまでは、若くもあり、なんだか自分だけは死ぬことがない様な感覚でした。
それからは問題意識が湧きはじめました。
「人は必ず死ぬ、ならば人は何のために生まれ、何のために生きるのだろう?」

「どんな生き方がベストな人生なのか?」

「それを知るためにどうしたらいいのか?」
毎日、朝から晩まで数年に渡り考え続けました。
今のわたしの人生観は、このことからはじまりました。
ですから、わたしが言えるのは自分の経験からは、“自分がいつか死ぬことを自覚することから自分の生き方を見つけた”ということです。

これがわたしの生き方を見つけた方法です。

コレをヒントに後はご自分で考えてみて下さい……。


このとき、青年の目が真剣でした。
憶測ですが、青年は何か人生に行き詰まり悩みがあったように感じました。
そこで話し過ぎず、自分で考えてもらうことが本人のためになると思い、ヒントだけにさせていただきました。


この青年の話とは別に、その後に青年に語ったわたしの持論のことで、少し驚きつつ自信が持てる出来事がありました。
わたしの持論と同じことを言っている人物を知ったのです。

 

その人物こそ、怖れ多くも道元和尚の言葉でした。


道元(1200~1253 曹洞宗の開祖。世俗を離れた修行僧)

 

道元和尚は弟子との問答で“人生をどう考えるか”を弟子に説きました。

この問答の中から“深く考えることの大切さ”を強く感じます。

 

弟子は道元に尋ねました。

人間になぜ成功できる人と成功できない人がいるのですか? どんな差があるのですか?

「成功できる人は努力する。成功できない人は努力しない。その差である」

 

どうして努力する人、努力しない人がいるのですか?

「努力する人間には志がある、努力しない人間には志がない。その差である」

 

どうして志がある人と志がない人がいるのですか?

「志ある人は“人間は必ず死ぬ”ということを知っている。志のない人は“人間が必ず死ぬ”ということを本当の意味で知らない。その差である」

 

 

当たり前のことですが、人は誰でも死は必ず訪れます。

ですが、道元和尚が言う、死ぬことを本当の意味で知っているかが肝心なのです。
人は本当に死ぬことを理解すると、何かに気づくのかもしれません。

 

もしも自分が、

10年後に本当に死を迎えるとしたら、

今の生き方を続けるでしょうか……。