本日のテーマ

人生は今日の連続】

 

 

今年も残すところあとわずかになりました。

早いものですね。

毎日過ごす時間は過ぎて行き、日々が過ぎ、週が過ぎ、月が過ぎ、やがて年も過ぎていきます。


時間にもいろいろな表現があります。

時間は目に見えないモノなのに、
 時間は流れる…
 時間が過ぎゆく…
 時間が止まる…
 時間に追われる…

と使われます。

 

わたしも文章では、“流れる”をよく使います。
流れるというイメージは、川の流れを連想します。
川の流れのように、過去という時間から、今、そして未来へと流れるように……。

 

時間に対する言葉の表現は、こんな意味を連想します。
 「過ぎゆく」は、去ってゆく…
 「止まる」は、動かない…
 「追われる」は、後ろから迫る…

なんだか生き物のようですね。

 

しかし、言葉の想像とは裏腹に現実は違うようです。
それは、時間というモノは、流れもしなければ、止まることや、迫ることもありません。
なぜか?
時間は「今」だけしか存在しないからです。

 

「今という時間」が過ぎれば、その時間は「過去」になります。
今という時間しか存在しないようです……。

 

書籍『なぜ生きる』高森顕徹監修(1万年堂出版)の中で今という時間についてこんな話をしています。


 「今年」が終われば、また「今年」
 「今日」が終われば、また「今日」がはじまる
著名な博士が禁酒運動で、ある町へ遊説(ゆうぜい)した。三度の飯より酒大好き男が、こんなおいしものを排斥(はいせき)するとは何ごとかと、息巻いて会場へ乗り込んだが、聞くほどに知るほどに、納得せざるをえない説得に、翻然(ほんぜん)と改悛(かいしゅん)しキッパリ断酒を決意した。終了後すぐに博士をたずねて、一部始終を打ち明け、「ぜひ禁酒記念に、ご揮毫(きごう)を」と懇願(こんがん)する。 「なんと書こうか」「死ぬまで禁酒と、いかがでしょう」「死ぬまでは大変だろう。今日一日で、どうかな」。花も実もある博士の言葉に感激した男は思わず身を乗り出して「今日一日でいいんですか」「さよう。今日一日でよいのだよ」“今日一日の禁酒”の紙を部屋の壁に張りつけた男は、時計とにらめっこしながら、明日の来るのをひたすら待った。夜になり12時が近づくと、1升ビンをグイと引き寄せ、ノドをグーグーうならせる。12時の時計の合図に「さあ、のむぞ」と、酒を手にした男が壁を見て、「あっ、今日もまた禁酒か」と叫んでがっくりする。「今日一日」とは、死ぬまでのことだったのか。「今日」の真意を知った男は死ぬまで酒を断ったという。


 

 

人生とは、今という時間は直ぐに過去になり、また今という時間がやってくる連続が一生続くのですね。
私たちは、今しか生きていないことに気づくことが大切なのかもしれません。