本日のテーマ

日本人は考える力を失ったのか?

~記憶の学問の後遺症~

 

 

「日本人は自分で考えることをしない」……そんなことが言われてきました。
 

ある高校生がアメリカに留学した体験を話していました。

 

「日本の学校では、授業でよく質問をされていました『この答えは何か?』。しかし、アメリカでは自分の考えを質問されます。『これについてどう思うか?』と自分の考えを言わなくてはなりません。答えが用意されている、数式や歴史の年号などは覚えれば答えることができますが、自分の考えは自分で考えなければ答えられないのです」

 


テレビ番組で外国人にインタビューするシーンがありますが、それを見て感心してしまうことがあります。
皆、自分の意見をちゃんと持っているのです。

 

日本人の場合、多くは、
 わからない…
 そんなこと考えたことがない…
などになってしまうことが目立ちます。

 

皆さんは、そんなこと感じたことはありませんか?

もしかしたら日本人の考える力は低下してしまったのかもしれません。
その原因にはこんなことがあるように思うのです。

 

「日本の学校教育に問題がある」
日本の学校では記憶させる学習を行っています。

「問い」に対して正解する答え方を教わってきました。

むしろ徹底されていたと言ってもいいでしょう。

学校ではどれだけ早く正確に答えを出せるかが評価の対象になっているのです。

 


 

 

用意された答えを覚えることが評価されます。

だから直ぐに答えを求めるクセがあり、そして答え知ることにより、それで知識を得たと思ってしまうのです。

 

わたしは本当に知ることとは、

「覚える」ことでなく、「理解する」ことだと思います。
理解とは納得です。
「なるほど」
と心から思えることです。

 

自分で考えて答えに辿り着くことです。

そうすることで答えの意味がよりよく理解されます。

しかし、そのプロセスもなくいきなり答えが教えられるのですから、本来の答えを理解することはできないでしょう。

 

そうすると、工夫や応用、柔軟性、知恵を使おうとはしなくなってしまい、狭い範囲でしか考えられない人間をつくってしまいます。

 

社会に出てからの世の中は、自分で考えられなければ力をつけながら生きていくことはできないでしょう。
それは、たった一つの答えに回答するだけでは通用しないからです。
 応用…
 知恵…
 工夫…
そんな考える力が必要になります。

 

記憶だけの知識はなにもなりません。
知識を知恵に替えることが必要です。
そのために自分でうんと考えなければなりません。

 

先人たちが遺した、
 格言…
 ことわざ…
 故事…
などは、けっして知識だけで絞り出したものではありません。
人生経験の中で、極限状態におかれたり、真剣に取り組んだりしているときに発した言葉なのです。
それ故、心に響きます。

だから格言やことわざを言葉だけで理解しても何の役にも立たないし、心にも響かないでしょう。

 

良い人生を築くためには、もがき苦しみ考えながら答えを出すことも必要です。
 記憶だけの知識…
 中身のない答え…
は何の役に立たないでしょう。

 

人生では自分で考え、自分の意見を持つことが必要です。
だって、自分の人生の生き方は自分で決めるしかないのですから……。

 

 

歴史の年号を覚えることも大切です。

しかし、もっと大切なのは、どの時代に何がどうして起こったか、その結果どうなったかということだと思います。

確かに、記憶することや正しい答えを覚えることも必要ですが、考える力がなければ意味があっても意味をなさにことになります。

 

例えば

「こういう“あいさつ”が正しいあいさつです」

という正解よりも、

「“あいさつ”にはどんな意味があるのでしょう」

という問いの方が、あいさつへの理解につながるのではないでしょうか。