本日のテーマ
【ないものでなく、持っているものに目を向ける~能力は藁(わら)しべ長者~】
人間は、自分にないものを欲しがり、うらやましがるものです。
それがコンプレックスになり悩みの種になっている人もいるようです。
わたしは、自分が持っていないものに目を向けるより、持っているものに目を向けるようにしてきました……。
人には生れ持った能力や性格があります。
それに満足できるかできないかは人それぞれでしょうが、たとえ気に入らなくともどうすることもできません。
わたしの場合、
「何が与えられているかではなく、与えられているものから考える」
よう心がけてきました。
それを例えると、このお話しになります。
日本のおとぎ話しに『藁しべ長者』がありますが、人生もこれと同じだと思うのです。
<藁しべ長者>
昔、ある一人の貧乏人がいた。貧乏から何とかして逃れようと観音様に願をかけたところ、「初めに触ったものを、大事に持って旅に出ろ」とのお告げをもらった。男は観音堂から出るやいなや石につまずいて転び、偶然1本の藁しべに手が触れた。
男はお告げ通り、その藁しべを手に持って道を進んでいった。ところが彼の顔の周りを、大きなアブが飛び回り、煩くて仕方が無い。そこで男はアブを捕まえると、藁しべの先に結び付けてやった。
すると、傍で大泣きしていた男の子がアブが結び付けられた藁しべを面白がり、欲しいと言って来る。男は観音様のお告げを信じて譲ろうとしなかったが、男の子の母親が「蜜柑と交換しよう」と申し出てきたので、藁しべを男の子に譲り、代わりに蜜柑を受け取った。
さらに歩くと、喉の渇きに苦しんでいる商人がいた。彼は男が持っていた蜜柑を欲しがり、持っていた上等な反物との交換を持ちかけてきた。男は蜜柑を譲り、反物を手に入れた。一本の藁しべが上等な反物に代わったと喜んでいた男は、侍に出会う。その侍は愛馬が急病で倒れてしまったが、急いでいるために馬を見捨てなければならない状況にあった。侍は家来に馬の始末を命じ、先を急ぐ。男は侍の家来に反物と馬の交換を迫る。家来は反物を受け取り、そのまま侍の後を追っていく。男が水を汲んで馬に飲ませたところ、馬は元気を取り戻して立ち上がった。男は馬に乗り、旅を続けた。
道を進んでいくと、大きな屋敷に行き当たった。ちょうど旅に出かけようとしていた屋敷の主人は、男に屋敷の留守を頼み、代わりに馬を借りたいと申し出る。主人は3年以内に自分が帰ってこなかったら、この屋敷を譲ると男に言い出す。男は承諾し、主人は馬に乗って旅に出発した。
3年待っても5年待っても主人が旅から帰ってくることは無かった。こうして男は屋敷の主人となり、裕福な暮らしを手に入れることができた。
(ウィキペディアより)
「藁しべ」→「アブが結び付けられた藁しべ」→「蜜柑」→「反物」→「馬」→「屋敷」
このお話は最初に持ったものがどんどん別なものに変化していきます。
何と「藁しべ」から「屋敷」まで変化するのです。
私たちの人生に置き換えたら、最初に持ったもの(藁しべ)こそ、能力や性格です。
それがたとえ、小さいもの、輝きのないものだとしても、自分次第でどんどん変化させることができます。
自分が持っていないもの目を向けて、不満を言うのではなく、持っているものをいかに磨き、価値のあるものにしてゆくかです。
すると、それはいつの間にか価値あるものにどんどん変化して行くことでしょう。
人は誰もが光るダイヤモンドを持っています。
しかし、そのダイヤも原石のままでは輝くことはありません。
原石を磨くことにより輝きを放ちます。
磨く方法は、与えられたものに目を向け、志を持ち、努力を積み重ね、自分をつくることではないでしょうか。
