本日のテーマ

優しさのつくり方

~優しさのベース(土台)とは何か?~

 

 

先日、近くの駅で高齢の男性が道に迷っているようでした。
そこに高齢のシスターが通りかかり、親切丁寧に道を教えてあげていました。

 

その光景を見ていたわたしは、微笑みながら、ふと思い出していたことがありました。

「やさしさの達人のことを…」

 

わたしが勝手に言っているのですが、マザー・テレサのことです。
わたしはマザー・テレサの思想から“優しさ”を学ぶことができました……。

 


マザー・テレサは36歳で、貧しい人の間で神に仕えることを決意し、2年後にカルカッタのスラム街に入りました。
そして、貧しく家もなく、路上で死にかかっている人たちのための施設『死を待つ人々の家』を開設し、生涯をかけ人々のために生き抜いたのです。

 

マザー・テレサは38歳の時にたった一人でこの活動をはじめました。
それも生涯に渡ってです。
なぜこれだけ人のために生き抜くことができたのでしょう。
 強い意志…
 深い愛情…
 勇気…
がなければできることではありません。

 

では、これらのことをどのようにして得たのでしょうか?
 努力…
 忍耐… 
 チャレンジ…
をしたからです。

 

では、なぜそれができたのでしょう?
それは、
「愛」
があったからです。

 

誰に対する愛でしょう?
それは
「神」
です。

 

なぜ神に愛があるとこのような活動ができるのでしょう?
それは、
「苦しんでいる人、一人ひとりを神だと思ったから」
なのです。


 

マザー・テレサは目の前で苦しむ人を、自分の最愛の神と思って接しました。

愛の力がココまでマザー・テレサを突き動かしたのです。

 

マザー・テレサの言葉…
「もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、それは神がその人たちを愛していないからではなく、あなたが、そして私が、与えなかったからです。神の愛の手の道具となって、パンを、服を、その人たちに差し出さなかったからです。キリストが飢えた人、寂しい人、家のない子、住まいを探し求める人などのいたましい姿に身をやつして、もう一度来られたのに、私たちがキリストだと気づかなかったからなのです。貧しい人々の中で最も貧しい人々をキリストご自身の姿として助けてゆきます」

 

 

わたしは、あの日、年老いたシスターが道に迷っている老人を愛する人と思って接していたように見えました。

優しさは、愛から生れると感じました。

 


優しい人は愛を持っている人、愛があるから人に優しくできるのだと思います。
優しさの達人とは、
今、目の前で困っている人を自分が愛している人と重ね、
「この人のためだったら」

と愛している人と同等に思える人なのかもしれません。