本日のテーマ

【立派な最期を迎えるために

~人生の最期をどう迎えるか~】

 

 

自分の人生についていろいろと考えることがあります。

 どう生きるか…

どうしたら
 幸せになれるか…
 夢は実現するか…
 使命を果たせるか…

 

しかし、こんなことを考えておきたいと思っています。
それは、「どう最期迎えるか」です。

 

死に方にはそれぞれあり、
 病気…
 事故…
 災害…

など、自分で死に方を決められませんが、どんな最期であろうとも美しく死にたいと思うのです……。

 


わたしが尊敬する明治時代の軍人に佐久間勉という人がいます。
佐久間さんの立派な死に方は世界にまで知れ渡りました。

少しでも佐久間さんのように立派に死を迎えたいと思っています。

 

明治43年4月のことです。日本海軍の第六潜水艇(せんすいてい)が山口県新湊沖の瀬戸内海で訓練中に沈没し、佐久間勉艇長(ていちょう)以下14名全員が亡くなるという事故が起きました。


(第六潜水艇)

 

沈没後、引き揚げされましたが、この時、引き揚げを行った作業員はもちろん、誰もが恐れたのは、乗組員の死に方がまるで地獄絵図のようになっているのではないかということでした。
ちょうど同じ頃、イギリス海軍の潜水艇でも同じような事故が起こり、その際には乗組員が人を押し退けて我先に逃げようとして出入り口のところに何人もの人が折り重なった姿で発見されていました。
きっと第六潜水艇の場合もそうだろうと人々は思いました。
ところが、海上に引き揚げられ、潜水艇の中を調べてみると、乗組員全員が整然として亡くなっていたのです。
佐久間艇長は司令塔の下にいて、他の13名も全員、自分の本来の配置についたまま絶命していました。
引き揚げ作業をしていた人たちはそれを見てとても感動しました。
この事件が報道され、全国に伝えられると感動の輪は全国民に伝わりました。
その後佐久間艇長の上着のポケットから手帳が発見されますが、そこには39ページにわたって975字を越える文字が書かれていました。



(佐久間勉艇長 当時31歳)

 

「自分の不注意によって大切な潜水艇を沈めたのは大変申し訳ない。乗組員は全員最期まで沈着冷静に仕事を行った。この事故で潜水艇の開発を遅らせるようなことがあってほしくない」と記されていました。
そして、乗組員の遺族が今後の生活に困らないように天皇陛下(明治天皇)や政府にお願いし、併せて何人かの人たちの名前を挙げて、その人たちにも同じように乗組員の遺族の今後を頼みました。

 

佐久間艇長はこの時、31歳でした。
艇長がその年ですから乗組員はもっと若い人たちだったでしょう。
その彼らはほとんど農家の出身でした。
当時の日本では江戸時代までは国を守るのは武士の仕事でしたが、明治時代になって徴兵制が取り入れられ、全ての国民が国を守らなければならなくなりました。
そのために農家などの出身の人たちも軍隊に入りました。
第六潜水艇の乗組員たちもこのようなごくごく普通の人たちだったのです。
そのような有名でない、ごく普通の人たちの立派な死に方に世界中の人たちが感動しました。
日本ではごく普通の人たちの中にも「武士道」が生きていることが知れ渡りました。

 


どれほど苦しかったことでしょうか……

最期まで持ち場を離れず任務を遂行したのです。
命の危険がある中で、どうして冷静にいられたのか?
これは崇高なる精神以外の何ものでもありません。

 

人は生れてくるときの生れ方は皆同じですが、死に方はそれぞれ異なります。
しかし、どんな死を迎えようと、立派な最期で終わりたいと願っています。
充実した人生を歩むためには死に方も考えておく必要があると思っています。
死に方は人生最後の総決算ですから……。

 

参考文献:『13歳からの道徳教科書』育鵬社