本日のテーマ
【許すということ】
人は誰でも、過ちを犯します。
知らず知らずのうちに、誰かを傷つけたり、失礼な言動をしてしまうこともあります。
また、人とのトラブルや喧嘩によって関係がこじれ、恨まれたり、憎まれたりすることもあるでしょう。
それは、自分が誰かにしてしまう場合もあれば、逆に誰かから受ける場合もあります。
もし自分が傷つけられた側であれば――
心が深く傷つき、怒りが収まらないほどの出来事に対して、相手を許すことは簡単ではありません。
しかし、許せないままでいると、どうなるでしょうか。
その感情は心の中に残り続け、思い出すたびに、再び自分自身を苦しめることになります。
つまり、相手を許さないということは、
自分自身を縛り続けることでもあるのです。
「愛の哲学」をテーマに多くの人々に影響を与えた教育者のレオ・バスカリアの著書『愛すること 愛されること』の中で、ジェラルド・G・ジャンポルスキー博士は次のように述べています。
「憎しみ、苦しみ、そして復讐心は抗しがたく自滅的で理性と感情の両方を消耗させるものだ」だから、人間関係を長続きさせたいと思うならば、人を許すとはどんなことか理解することが大切だ。人を許すかどうかは自分が決めることだ。許すこともできるし、許さないでおくこともできる。自分のあやまちを許してほしいと思うなら、相手にも同じことをしなければならない。
ある女性の話があります。
「フロリダに住むある女性は、レイプされたあげく、頭をピストルで撃たれ、瀕死の重傷を負った。奇跡的に命はとりとめたものの、頭に受けた傷のせいで失明してしまった。テレビに出演した彼女に、司会者はいった。『さぞ、おつらいでしょう。心の傷は一生消えることはないでしょうね』 ところが、それに対して彼女はこう反論したのだ。『とんでもありません。たしかにあの男は、あの晩、私をひどい目にあわせました。でもこれ以上、一秒たりとも、あの男のために無駄にするつもりはありません』
「確かに、あの人は私にひどいことをしました。
でも、これ以上一秒たりとも、その人のために自分の時間を無駄にするつもりはありません」
この言葉は、「許す」ということの本質を教えてくれます。
許すとは、相手のためではありません。
自分自身を過去の出来事から解放することです。
恨みや憎しみは執着です。
執着とは、過去に縛られ、そこから離れられない状態のことです。
だからこそ、許すという行為は、
過去を断ち切り、自分の人生を前に進めるための選択なのです。
許すことは弱さではなく、強さです。
それは、自分の人生を自分の手に取り戻す行為なのです。