正保信濃国絵図」が見たくて、行ってきました。

本当は違う角度から撮りたかったけどまさかのここでスズメバチに襲われかけて慌てて入館…

あの羽音久々聞いたし、あの黄色っぽいような茶色っぽいようなやたらでかい影はまちがいなく奴だった…
今年出現早くないか…??


まぁ、それはさておき…



企画展もやっていて、そこで「長野県之温泉と名勝」という鳥瞰図も見られました。

鉢伏山にスキー場なんてあったの!?というのが個人的驚き。どこにあったんだろう…



常設展は入っていきなりまさかの林鉄の紹介の展示!!!!!さすがにテンション上がります…



物流と街道の発達についての展示も豊富。

塩の道」と「中馬の道」について。

緑の道筋は、「塩の道」と呼ばれた道の拡がり。




ピンクのほうは「中馬の道」の拡がり。




道標のレプリカもあります。




そして!!!一番見たかったやつ!


これです!
どーーーん!!!


で、でかい…
これでも「複製の複製」で、3分の2の大きさだそうです。
ちなみに、「本物」→幕府へ提出「本物の複製」→上田市立博物館にあるそうです。

本当は権兵衛峠のほうも見たかったのですが、いかんせん、この大きさな上に西が上になっているので、私の身長では見えないwww脚立が欲しいwww なんとか手を伸ばしてそれらしき場所は写真を撮ってきましたがやっぱりちゃんと全体像を見たいものですね…



各地へ荷物を運ぶ「中馬」。

江戸時代、藩や幕府公認の陸上輸送機関は宿場毎に置かれた「問屋」でした。
荷物は宿場毎に積み替えなければならず、運賃や手間がかかっていたそうです。
そこで、農民たちが問屋を介さず荷物を運ぶようになっていきました。積み替えの手間もなく、安く、速く荷物を運べるようになりました。これが「中馬」です。
ところが中馬が増えるにしたがい、問屋たちは商売上がったりになっていき中馬の禁止を求めて裁判を起こします。
幕府は中馬の実態を調査し、明和元年(1764年)
に「明和の中馬裁許」と呼ばれる判決文を出しました。宿場の問屋を保護するために条件付きで中馬の活動を認めるものでした。
信州からは酒や米や煙草などが運ばれ、外からは、塩や綿花、鉄、瀬戸物などが持ち込まれました。

こういった人や馬が中山道、北国街道、善光寺街道をはじめとした街道、そして小川路峠や地蔵峠といった峠を通っていたんですね…




馬頭観世音と道祖神のレプリカ。
馬頭観音様は新山峠でもお会いしましたね。
道祖神も松本にかなりのバリエーションがあって、色々と変わった道祖神もあるのでそれもまた機会があれば撮りに行きたいです。




中野県と筑摩県と分かれていたころの「筑摩県」。
「松本市vs長野市」の一因とも言われるこの以前の行政区分…
たしかに県庁は松本にあればと思うこともありますが、まぁ、実際には言うほど松本市民と長野市民って仲悪くはないと思います(笑)(サッカーの試合のときは別かもしれませんが…苦笑)



明治期の建物のレプリカに産業遺産等の展示も。
そして!右上の写真!わかりますか!?
みんな大好き毛無峠ですよ。
(ちなみにこれ見つけた時テンション上がって変な声出たw)



いわゆる「平成の大合併」までの市町村の変遷の紹介もあったり…


「伊那電気鉄道」のパンフレットもありました!これ欲しい!笑




写真撮影OKといえどあんまり細かい写真を挙げるのはちょっとためらわれたのでざっくりとレポでした😅
とにかく写真撮影OKなのと、中に文書館もあるのでそこで色々と資料は見られそうなのでまたゆっくり再訪したいです。