少し日が開いてしまいました。すみません。
伊那谷の橋シリーズ2回目です。
以前からストリートビューで見て気になっていた「吉瀬橋」(きせばし)です。
なぜ以前から気になっていたかというと、、
この銘板の大きさです!!!
こちらが現在の橋。
現道といえど、文字からして古そう…
重要なことを書き忘れていました、
この橋が架かるのは天龍川です。
写真が残念な感じになってしまった…💦
こちらは漢字で「吉瀬橋」と書いてありました。
ちなみに現在使われている橋は「昭和三十三年十二月」竣工でした。
昭和33年は1958年。
前回の落合橋は昭和37年だったので、似たような年代ですがそれより古い橋ということになります。
こちらも「橋」の字が旧字体でした☺️
上流には南向ダム(みなかたダム)。
こちらのダムもどうやら歴史のあるダムだそうで、1929年に竣工、運転開始だそうです。
山が!めっちゃ綺麗!!!
この日は本当に空も快晴で、山がよく映えていました。
そして、この吉瀬橋のすぐ横の広場にはこんなものが…
「高遠領吉瀬村分杭碑」だそうです。
そう。つまるところはなんと「境界標」!!!
これは境界マニアのはしくれとしてはチェックしないわけにはいかない!!!
後日、別の場所でも高遠領の分杭碑を見かけました。
各所にあるようです。
こんな時代から「標石」があったとは胸熱。。
【補足・共有】
六地蔵がこのさらに横にあり、
「六地蔵について調べる」というのが宿題(?)で残っていました💦
ざっくりとですが、、
「仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたもの」(Wikipedia「六体地蔵」より)
だそうです。
樹海に行ってからこういった構造物に関する「数字」に敏感になってしまいました😅
「六字名号」とか「富士六湖」とか、、
また「六」が登場です。
とりあえず六地蔵もいたよ〜という報告です…(雑!)
次回、伊那谷シリーズ最終回です。