7月の最初の事、仕事場で、ある女性職員から

「モリアオガエルの卵を取る事が出来ませんか?」と問い掛けられた。

数日前の豪雨の時に駐車場の上の樹の枝に卵を産んでしまったのだと言う。

モリアオガエルは樹上に産卵し、生まれたオタマジャクシは池に落ちて成長する。

職場の周囲にモリアオガエルがいる事をこの時に知った。

駐車場が水に満たされ、カエルからは池に見えてしまったのだ。泡状の卵塊は地上から3メートル以上の高い場所にあった。大きな脚立と鋸が必要だ。

豪雨の日から既に何日か経過していた。そういう事が得意そうな年輩の男性職員は「やだやだカエルなんて気持ち悪い」と首を振った。

頼む当てを失くし、こんな新入りに話が来たらしい。脚立も道具もその年配の方にお借り出来た。

 

無事に卵を枝ごと採取した。引き取り先を、女性は知人に電話で話を付けた。近隣の公園に勤める方で「モリアオガエルならここの公園にもいるから生態系にも影響ないのでどうぞ」との言葉を頂く事が出来た。

けど、夕方、卵を運ぶ段になって女性が叫んだ「生まれて来ちゃってる!」泡の中にうごめく小さなオタマジャクシ達を見付けた彼女が急いでバケツを用意すると、20匹あまりのオタマジャクシがまず水に落ち、程なく50匹ほどが生まれた。

モリアオガエルのオタマジャクシが孵る時には、その下にイモリが集まり、落ちて来る子を次から次へと食べるという。同じ事が起きるかどうかは分からない。けれど池に卵を持って行くと決めた時、それは必要な覚悟なのだと思っていた。

けれど、生まれた姿を見てしまった事で、自分には出来なくなってしまった。

「仕方ないじゃないですか。自然の摂理です」若い男性職員に諭された。

どうやって池まで運ぶか、女性職員と男性数名とで話し合いが持たれた時、私は加わる事が出来ず、缶コーヒーを片手に、片隅でぼんやりとしていた。

しばらくして輪から抜け出た女性が一人で私の元に来た

「しばらくここで育てる事にしましたから」

 

数日で卵は全て孵り、その数は300匹程となった。

女性は非番の日に四角く底の浅いプラスチックの容器を水槽にするため買って来た。

「私は飼うつもりなんてありませんでしたからね。オタマジャクシなんて飼った事ないし、ここから先は本気にならないと無理です」

笑顔はいつものままなのだけれど、明らかに怒ってる。水は田んぼのように浅く張る事が大事だと言う。

「餌はネットで調べたらこれが一番オタマジャクシに向いているそうです」

そう言って水底の餌を食べる魚用の餌を用意してくれた。

「酸素を入れるブクブクはオタマジャクシにはよくないそうなので、これは化学反応で酸素を出してくれるキューブです」

サイコロ状の粒を幾つも沈める。

「カルキ抜きの薬で、これを使えば水道水そのままでも大丈夫だそうです」

そう言って、小さな黄色い容器の薬剤を見せてくれる。

「卵の泡を最初の内は食べると言うので、枝を水に浸して置いておきますから」

本当なら誰にも気付かれないまま、駐車場に生れ落ちて死んでしまう筈だった300匹のオタマジャクシ達が、自分達の身に何が起こったか知らないままに、水の中で泳いでいる。

 

二週間以上経過した。「さっき測ったら4センチありました。5センチ位になると足が生えて来るそうです。そうなると陸地が必要になってしまうので、そろそろ限界です」。

すっかり成長したオタマジャクシ達。

「もう肺呼吸も少し始めていると思いますよ」

たしかにそろそろ限界なのだろう。

 

運ぶのは私が引き受けた。「帰りでよければ私も手伝いますよ」と女性は申し出てくれたのだけれど、これ以上は甘えられなかった。

娘と休みの合う日を打ち合わせ、運ぶための方法を考えた。

「不思議な感じ」娘は言う。

「こういう時って父はいつも一人だったでしょ?その人がそんなにいろいろやってくれてって……何だか不思議」

オタマジャクシ達は無事に公園の池に放された。近くの枝にも卵塊が産み付けられている。確かにモリアオガエルはここにもいる。

アマガエルとは違うカエルの声が何匹も聞こえる。

「今年はその池にモリアオガエルが大量発生してくれるといいですね」

女性が笑う。

本当に、無事に大人になって欲しい。

脚立に上って卵を取った時には考えもしなかった様々な事の成り行きに、今はその女性と、その女性の決断を尊重してくれた周囲の皆さんに感謝の気持ちだ。

 

印象的な出来事だった為、ついダラダラと長文を書いてしまいました。

お読み下さった方がもしいらっしゃいましたら、有難うございました。