モリアオガエルのオタマジャクシを放したその後、池には一度足を運んでいた。けれどすでに水の中には一匹のオタマジャクシも認められなかった。

それはそうだ。いつまでもオタマジャクシでいるものではない。すでに足の生えかけていたオタマ達は、とっくに蛙になっていなくてはならない時間が経過していた。

三日前に久し振りに池を訪れた。

ひょっとしたら蛙の声が聴けるのではないかと期待したのだ。

夕暮れの公園の遊歩道にはまるきり人気は無く、ヒグラシとツクツクボウシの声が、哀しい位に騒がしい。

夏の終わりの喧噪に包まれた池の淵で、蛙の声を聞く事は出来なかった。

暗がりに目が慣れて来ると、水面に何かが浮かび上がって来ては、一瞬でまた沈んでゆく姿が見えるようになった。小さな黒い影……オタマジャクシだ。

次の世代がすでに育っている事を知った。沢山のオタマ達、あちこちで浮かんでは沈みが繰り返されている。すでに肺呼吸を始めている子達なのだろう。

雨が降らない日が続いている。水面がこの前よりも5㎝くらい低くなったようだ。毎日まだまだ暑い。この子達が大人になる頃まで、きっと夏は続いているだろう。

(いいよ、君達の為なら、しばらく夏のままでも)……日暮れた山の、ひんやりとした空気に騙されて、ついそんな思いにかられてしまう。

この日の水面に映った木立ちとアジサイの写真です。

かなり暗いのでブレてしまいました。

 

井の中の蛙大海を知らず

されど空の青さを知る

 

この有名な言葉は当然娘も知っています。

「でも、後半は日本人が後付けした部分らしいよ」と彼女に告げると

「すごいねその後付け!え!何そのすごい発想!いいね!」

ためらわずはしゃぎます。

詩の本来の意味を作り変えてしまう事に何の抵抗もない潔さが、ポジティブで、気持ちいい位です。

うん、きっとここのカエル達も、大海なんて知らなくても、この空を見ながら、

たくましく育ってくれます。

そもそも最初から最後まで知らなければ、それは無いものと一緒です。