「日曜日に温水池に鴨を観に行こう」と少し前に娘と話を決めておりました。

 

「水筒持って行く?」

「そんな大げさにしなくても、散歩程度で」

「一眼レフ持って行く時点で中々大げさだと思うけど」

「そう言われると確かに」

「お昼とか食べられると良くない?」

 

でも心配だったのは天気。

予報がすでにあまり良くなかったのです。

そして今日、案の定の雨。

諦め切れず、小雨の中を出発です。

 

公園に着くと、まだ駐車場に車も付けないうちから目に止まったのがヒドリガモの群れでした。

ひと気のない芝の上に上がり盛んに何かをつついています。

「こんなの初めて見た」

思いがけない光景に娘が目を見張ります。何年か前。ドライブ先で、マガモが池の中州に群れているのを双眼鏡で見た事はありました。けれど今日は車のすぐ脇での出来事です。

 

 

日頃から餌付けをされている方がいらっしゃるようです。ここの鴨たちは警戒心が薄めです。

 

  鴨の中の一つの鴨を見てゐたり

 

高浜虚子の句です。昔に新聞の小さなコラムで紹介されたのを読んだのが最初でした。「鴨の中」とせず「鴨の中の」とあえての字余りなのだそうです。

この句の光景の持つ心持は、決して鴨だけに限られません。

引き出されるのは、沢山のものの中から、たった一つのものだけを追っていた記憶。

たとえばそれは、学生の頃に教室の何気ない素振りの中で。

あるいは子供が育ってから運動会の応援席で夢中になって。

そんないつかの自分の姿がこの短い言葉の向こうに見えて来るようで、好きな俳句です。

 

どちらかと言うとこれは一羽のカモに見られている構図ですね。

 

 

群れの脇を男性が通りかかり、鴨たちは一斉に飛び、水に入ってしまいました。

私達も車を駐車場に停めて、傘をさして、雨の中のバードウォッチング。

 

「オナガガモ

 キンクロハジロ 

 ホシハジロ

 コガモ カルガモ

 ヒドリガモ マガモ」

 

前回この池で見た分に今日見たマガモを含めて短歌調にまとめてみたつもりだったのですけど

「最後字余りになっちゃったね」

「いいんじゃない?そんなに悪い字余りじゃないよ」

肌寒い。けど、鳥達はそれを避ける場所もない。

また数日前のような暖かな日差しが帰って来る事を願うばかりです。