『エンドウ豆の上に寝たお姫さま』というアンデルセンの童話があります。

有名な物語のようなので、あらすじについては今回は触れないものの、その解釈については今一つ定まっていない物語です。

自分の解釈と現在主流の解釈とは随分違ったものとなりました。

そこで、この解釈をテーマに、最近ひとつの物語を書かせて頂きました。

物語の全文はここには記載いたしません。(何の必要もないと思いますので)

が、その解釈に関する部分だけ、抜粋して記させて頂きます。

 

舞台は図書館。

主人公の男性職員

物語に疑問を抱く女性来館者。

の二人の会話部分です。

真ん中辺りと最後に少し、来館者の友人の女性職員が現れます。

 

 

「まず、考えたいのは幾度も書かれている『ほんとうのお姫さま』という結婚条件です。ずいぶん曖昧です。明らかに、わざと曖昧にしています」

 「それは分かります。だから読んでいると、ほんとうのお姫さまとはどんな人かと期待します。でもだからこそ結果を知った時に、待ち望んだ結論がこれ?っていう思いでいっぱいになるんです」

 優雅さや気品などとは程遠いお姫さまの姿は、読む人みんなをがっかりさせる。

 「そして結局、本当のお姫さまとされた根拠は『感じの細かい人』でした。でもこのお姫さまはどの部分で『感じの細かい人』でしょうか?」

 「それは、さっきの解説の本にもあった通り、敏感な感覚が養われている、という判断からですよね。何十枚もの敷布団の一番下に置かれた豆に気が付く事が出来、それが気になって眠れないような思いをするんですから。それは、きちんとした環境で育てられたからこそ培われた鋭敏さという解釈ですよね」

 基本的な部分。最低限この解釈で間違いがないと思われている部分だろう。

 「はい。そうだと思います。けれど、その分析は正しいと言えるでしょうか?」

 「違うんですか……?」

 短いお話だ。だから、一つ一つのパーツはどれもとても重要な筈なのに、見落とされている事がある。

 「このお姫さまの登場の仕方を見てください。ひどい嵐のせいで、どんな様相だったのか」

 川島さんは改めて手元の童話集を開き、その文章を確認した。

嵐の中でそのお姫さまは、髪も服もずぶ濡れ、したたり落ちた水が靴に入り、つま先から流れ出るありさまで王子の前に現れる。、

「解釈されているような神経過敏な『感じの細かいお姫さま』が不満を爆発させるなら、まずここでなければならなかったと思いませんか?」

深田さんが横で「こほん」と一つ咳払いをすると

 

「ひどい目に遭いましたわ!見て下さい!髪も服もずぶ濡れ、靴の先まで水が滴って、体中が赤く膨れ上がってしまいましたわ!」

 

甲高い声で不満爆発のお姫さまを、見事に演じてくれる。

「こんな具合?」

 得意気なその笑顔に、川島さんがパチパチと手を叩く。

 「何故この時に彼女は何も言わなかったのでしょう?……実はこのお姫さま、意外と辛抱強いと思いませんか?」

 この描写が、お姫さまの人柄をとてもよく示している。

彼女は、自分の身がこんな状況にあっても不平一つこぼさない。

 「アンデルセンは、それを伝える為に、わざわざこれ程の嵐の描写を設定して見せたんです。みすぼらしい程の姿でお姫さまが登場したのは、決して意味のない事ではありません。そして次に考えなければならないのは老妃の思惑です。二十枚の敷布団の上に重ねられる二十枚の羽布団。何の為にこんな事をするのか。度を超えた布団の枚数は一体何を表しているのでしょうか」

 「ただの贅沢を表しているのではないんですね?」

 贅沢を表しているように読める。いや、そう読めるように仕込んだのだろう。

 「ではこの敷布団が、この国の国民を表していると読むとどうなるでしょう」

 「国民、ですか……」川島さんが僕の言葉をなぞる。

 「二十枚の敷布団が下層の国民を表し、その上に重なる二十枚の羽布団が、富裕層を表していると考えてみると、どうなるでしょう?王族とは、沢山の階層の国民を下に敷いて、その上に横たわっているものだ……そう読む事が出来ると思いませんか?」

 この部分まで伝える事が出来れば、一番下に置かれたエンドウ豆の意味に辿り着くのは難しくない。

 「エンドウ豆が意味するのは、最下層の国民が抱えている小さな悩み事です。……それは国家への不満かも知れない。仕事でのトラブルかも知れない。友人や家族との行き違い、個人的な健康の不安……考えられる事は様々です。

いずれにしてもそれ程大きなものではありません。ほんの小さな豆粒です。けれどその一番底辺の、ほんの小さな豆粒一つに気が付く事が出来、その豆粒に苦しみ、夜も眠れないような思いをされ、自身も傷つき、なりふり構わず夢中になって周囲に訴えかける……自分は、嵐の中で髪から靴の先までずぶ濡れになっても不満一つ言わなかったお姫さまが、です。王子はそんなお姫さまを探していたんです。世界中を探しても見つからず、王子が『ひどく悲しくなってしまった』のはそんなお姫さまがどこにもいなかったからなんです。そして年老いた妃は、お姫さまを試そうとしている少し意地の悪い妃のように見えてしまいますが……でも実際には、国中の平穏を願う、本当の妃だったのだろうと思います」

 「それが『えんどう豆の上に寝たお姫さま』の本当の意味……」

 川島さんは、本を手に取り、その短い物語に改めて目を落とす。無言のまましばらくの時間を置いた彼女の表情が静かにほどけ、和らぐ。

 「そっか……」

 「霧が晴れたような顔してるね」

 深田さんに言われると「うん」と伸びやかに頷く。

 

 

……ここまでで十分だと思います。

お姫さまはただの神経過敏なお姫さまなどではないと思います。

では、何故、アンデルセンはこのお話しをこんなにも分かりにくく書いたのでしょうか?

これは全くの想像でしかないのですが、デンマークが王国であるからではないかと思っています。

王女とはかくあるべき、お姫さまとはかくあるべき。

本当の王族とはこういう人達なのだという教訓めいた話を大っぴらに書く事がはばかられ、このような話としたのではないかというのが私見です。

さらに誰かに看破された時の保険として

「これは本当にあったお話しなんですよ」

と現国王への賛辞ともなり得る一文を添えた……そこまで考えてしまうのは少し穿った考え過ぎるでしょうか?

いずれにしてもこの童話、一筋縄でいくような単純なお話しではないと思います。

機会がありましたら、ご一読下さい。